「ワニが飲み込んだ時計」

 水の中にいると心安らぐ。
 
 俺はワニとしちゃ割合人類とかいう地球生
物の変種に理解を持っているつもりだが、こ
ういう戯言を真顔で言ってのけるあたりに、
なんてのか、どうしようもない溝を感じる。
 普通、まともな生き物、いや、まともにプ
ログラムされているなら機械ですら、己が十
分と生きてはいられない世界からは速やかに
脱出を試みるものだ。
 それが、死の寸前にたゆたって心安らぐと
かぬかしてみたり、酒場女の気まぐれ程度に
機械が不機嫌を起こしただけで旅行先があの
世に変わる、宇宙なんてとこへ平気で出て行
ったりする、こんな変態ども相手に解り良い
商売なんぞ出来るわけはないのだ。多少のイ
ンケツを引いたとしても、それは健全なるワ
ニの落ち度ではない。
 
 俺は下水道の水中にひそんで状況の推移を
探りながら、そんなことを考えていた。
 残念ながら心安らぐなんて戯言はどこを捜
しても出てこないが、肺呼吸生物としちゃ、
これが健全ってもんだろう。
 だが、どうやら俺が今最も心安らげない原
因であるモードレイの追撃の気配はないよう
だ。おっさんは変態種族の中でもとびきりの
変態だが、マイナスとマイナスは時としてプ
ラスとなるのだろう。おっさんには死地で散
歩するってぇ種族的欠陥はなかったらしい。
 
 モードレイが圧倒的不利を覚悟でこっちの
ホームグラウンドにまで押しかけて来るとは
考え難かったが、道理の道案内で歩いてて商
売になる世界だとは俺も奴さんも思っちゃい
ない。
 一応の警戒は必要だったのだ。
 
 さて、動きだしてもいきなり不利な状況は
襲って来ないと確認できた以上、止まったま
までいるのは明らかに不利を呼び込む。
 俺は下水の中をゆるゆると移動し始めた。
今段階でオフィスに戻るのは論外として、そ
れなりの情報は拾っておきたい。となれば行
ける場所は限られてくる。俺はこの界隈の情
報通の顔をいくつか思い浮かべ、比較的ハン
サムな男のドアを叩くことにした。
 
        *
 
 「医者の門をくぐる者は誰か。死者と、や
がてそうなる者。探偵などという者がこうも
頻繁におとずれる日はめずらしい」
 顔面の半分を寄生海綿に乗っ取られた、こ
こいらじゃ一番のハンサム、ドクター・コー
ラルグリーンは面白くもなさそうにそう言っ
た。
 「探偵てのは普通の生き物よりは死にかけ
てるもんさ」
 「だが、つける薬もない」
 「・・・もっともだ」
 俺にとっても医者ってのは、好き好んで一
日のうちに二度も顔を出したい場所じゃない。
 実際、こいつらと関わるのは、生涯に一度、
死亡判定を貰う時だけでいいとさえ思う。相
手が遠まわしの説教が趣味の寄生海綿医師な
んてもんとなりゃなおさらだ。
 案の上というべきか、レーテマンもズー
フェイも来てはいない。モードレイの仕掛け
を破ってレーテマンを連れたまま逃げ出すな
んてのはアホ犬の手には余る仕事だ。無理も
あるまい。
 「まぁ、来るとは思っていたのだがね。君
は血筋に従って怠惰な性質ではあるが、己の
蒔いた種の発芽具合を確認する程度の行動は
する」
 「失礼な言い様だが、今回はそのとうりだ
からしょうがないな。で?」
 「ふむ・・・」
 ドクター・コーラルグリーンは医学的真理
の探求という意味において非常に勤勉な生き
物である。頭の中で聞いたことのない音楽が
聞こえるなんてぇ頓狂は症例に興味を持たな
いわけはないと踏んでいたのだが。
 「君の友人である、アルフレッド・レーテ
マン氏についてだが、なかなかに面白い」
 そうかい。じゃ今、奴さんはそこそこ幸せ
なわけだな。俺もインケツばかり引いたわけ
じゃなかったってこった。
 
 念のために言っておくが、ドクター・コー
ラルグリーンは正式には医者ではない。寄生
海綿に医師免許を発行するほど太っ腹の自治
体を未だ人類は持ちえていない。
 で、正式な医者でない以上、正式な医者の
仁義を通す必要はこのおっさんにはない。己
の興味の赴くまま、興味の対象を最小単位に
まで切り刻むのにだって少しのためらいもな
い。そして興味を覚えたものには触手を伸ば
さずにはおかない。あのときレーテマンをこ
こに残していったら、あるいはズーフェイが
奇跡的な活躍なんぞをして奴さんをここに連
れて来てたりしたら、レーテマンは自分の体
を複数で数える不幸を甘受してたこったろう
よ。感謝はいらないぞレーテマン。こそばい
から。
 
 「彼は生まれつきの難聴だったようだね。
脳に微細な障害があったようだ。それが10
年ほど前に完治している」
 「・・・難聴の治療ってのは面白いのか?」
 「いや、治療の記録はない。どこの医療機
関も彼の難聴について治療行為に類するもの
を行ってはいない。そして、自然治癒する症
例でもない」
 「・・・そりゃ、面白いな」
 「私が彼の難聴について手に入れたのは生
後しばらくの診断カルテと歳ごとの健康診断
のデータくらいだ。10年前を境に{生活に
不自由がない難聴}が{異常なし}にかわっ
ている。もちろん、難聴に関するもの以外に
も多少の病歴はあるが、興味を引くほどのも
のではないな」
 つまり、アルフレッド・レーテマンという
男の人生において、そこそこには重要なデー
ターが紛失しているということになる。
 
 記録と呼ばれるもので、このアイヤー・オ
ブ・ザ・ドラゴンで手に入らないものはほぼ
存在しない。問題はかかるコストの大きさだ
けだが、その点、ドクター・コーラルグリー
ンは医療関係において金額的にも時間的にも
最小クラスのルートを確保している。このお
っさんが半日をかけて確保できなかった医療
系の記録というのは、すなわちこの世界に存
在していないと考えていい。
 「あるいは、相当に高度な情報システムを
持つ者によって秘匿されたか、だがね」
 「難聴の治療法をか? 」
 「副作用として、聞き覚えのない音楽が頭
で鳴続ける、難聴の治療法だよ」
 「・・・俺だったら不燃ゴミに出すなぁ」
 「だが、その手の治療法が迂闊な廃棄をさ
れた形跡もない。存在そのものが秘匿されて
いる、あるいは可能なかぎり消去されている」
 なるほど。どうやら読めてきた。モードレ
イの最終的なクライアントは、かつて不燃ゴ
ミの処理で不始末をやらかしたらしい。
 で、その不始末になんらかの形で関わった
のが・・・。
 「カンマハド・ホプシス。聞き覚えは?」
 「・・・」
 俺の問いかけにドクターの海綿状の体から
糸のようなものが伸び、床にあるスリットに
はいりこんでゆく。
 コーラルグリーンと呼ばれる寄生海綿は、
俺が知るだけでもこの下水道に50人がとこ
存在しているのだが、これを50と言うべき
か、1と言うべきか、あるいは無数と呼ぶべ
きかは微妙である。
 もっとも巨大なコーラルグリーンは俺なん
かじゃ生還もおぼつかない下水の深部に鎮座
し、分離状態にある他のコーラルグリーンと
接触による情報の交換を繰り返しているらし
い。つまり、我らがドクター・コーラルグリ
ーンもソレとの接触によって獲得情報の幅と
処理速度を飛躍的に増大させることが可能な
のだ。
 
 「・・・医者だね。5年ほど前まで一龍街
のエスケイド記念医療センターの職員だった
専任として行っていた仕事は・・・ない」
 「ここでもか」
 「うむ、だが木を切れば切り株が残り、切
り株を掘れば穴が残る。穴を埋めれば種が芽
を出す。なまなかなことで在りしものを消し
去ることはできない」
 「脳がでかくなって、処理速度が上がった
としてもあんたの場合意味はねぇな」
 「そう。知的生命体は性癖という業を背負
っている。これを切り離して個体の存在意義
はありえない」
 「ああ、それなら俺にもわかる。ちなみに
俺は一定時間、戯言に付き合うとむしょうに
青物が食いつきたくなるんだが、存在意義を
示していいかね」
 「・・・消し損ねたホプシスの足跡から彼
は・・・先天性の物理的な脳障害の治療法に
関わっていたと推察できる。彼の名で使用申
請された施設、購入された物品からほぼ断定
していいだろう」
 「ほう」
 話はつながった。だがまだ骨格だけだ。
難聴の治療にジュークボックスのおまけがつ
いた程度で人死にが出るとも思えない。
 まだこの事件の本体は現れちゃいないのだ。
 
 「ところで、B・J・クロコダイル。ミス
ター・レーテマンはどうしたのかな。彼とい
うサンプルがあれば事実はより鮮明さを増す
のだが」
 「・・・先生、あんたどのくらいまでなら
バラバラになった人類ってのを元にもどせる
?」
 「細胞単位にならないかぎりは可能だと思
うがね」
 「事実の鮮明さってのはそこまでいかなく
ても確保できるのかな?」
 「可能であることはその時がくれば判明す
る。不可能は事の終焉まで判明しない」
 つまり、このおっさんはわかるまで行くっ
てことだ。
 「細胞単位になった人類てのはそれでも探
偵料を払ってくれるもんかね」
 「不可能ではあろうが安心したまえ。契約
不履行で訴えることもしない」
 「そりゃ結構だな。気が向いたら連れてく
るよ」
 今後、どこぞで再会したレーテマンが、俺
のディゴスの店での戦術選択にいかしたコメ
ントの一つも付けてくれたら気が向くかもし
れない。ドクターにはそれを期待してもらお
う。
 「解っているだろうが、B・J・クロコダ
イル。{私}は興味をもった。あまりの長期
に渡って答が得られないなら、{私}の誰か
がそれを求めて動き出す。無論、それが私で
あることも無い話ではない」
 「・・・近々また来るよ。茶飲み話でもし
よう」
 俺は席を立った。可及的すみやかにこの事
件を終わらせる必要が今はじめて発生したの
だ。
 クリーチャー殺しは銭にもならない殺しは
しないが、好奇心に燃える寄生海綿は興味の
赴くまま生き物を切り刻む。俺はコーラルグ
リーンが痺れを切らす前にレーテマンから探
偵料をせしめなきゃならないのだ。
 だが、寄生海綿の好奇心に火をつける危険
を犯しただけの収穫はあった。自分の持つべ
き切り札の輪郭だけは確かにつかめたのだか
ら。
 
         *
 
 コーラルグリーンのオフィスを出た俺は誰
が経営してるもんだかわからない下水道のカ
フェでエスケイド記念医療センターについて
のデータを集めていた。
 誰が客やら従業員やらわからないので注文
は当然取りにこない。何か飲みたきゃ、その
辺を飲み物をもってうろついている奴に声を
かけ、自分の消化器官の甲斐性にあった飲み
物を選べばいい。もっとも、こいつらもここ
の店員ってわけじゃないから、てめぇの甲斐
性を読み違えたところで店から賠償金は取れ
ない。選択は慎重に行うべきだ。
 ちなみに、俺も生粋の店員は見たことがな
いのだが、噂じゃ奥の調理場に転がっている
ガイコツが店長らしい。だとしたら寡黙なわ
りに商売の上手いやつだ。店はいつも賑わっ
ている。売上が店長の手に渡るかどうかは知
らないが。
 
 ピクピクと動く以外はワニの口に合うコー
ヒーらしいものを飲みながらエスケイドのデ
ータを端末に取りだした。
 エスケイド記念医療センター。地球資本の
医療団体が経営する、総合病院を併設した医
療技術の研究機間だ。
 このアイヤー・オブ・ザ・ドラゴンは経営
者がアレなもんで、あんまり胸を張って事を
行えない研究機間なんてものが有象無象に入
り込んでいる。大企業の支社だの、どこぞの
自治政府の出先機間だのが林立する一竜街も
それは例外ではない。おそらくはエスケイド
も所属する団体の中ではそういう仕事を行う
セクションなのだろう。
 ネットの表通りでは堅気の医療施設として
鬱陶しいほどの情報が流れているが、少なく
ともここの住人はそんな戯言を信じてはいな
い。俺程度が立ち入りできる裏サイトですら、
叩きゃ山ができるほどの埃が舞っていた。
 
 エスケイドとゲナー・ワンには長期の業務
提携契約が交わされている、ダミーマンとか
呼ばれる意思を持たないクローン人間を何体
か抱え非合法実験を行っている、クマに襲わ
れた? などなど、どこの研究機間でも一通
りは抱えている情報ばかりではあるが、そこ
にはカンマハド・ホプシスの名はない。
 裏情報程度なら非合法実験の事実が漏れ出
しても気にも止めた様子がないのに比べて、
なぜホプシスの記録だけが消去されている?
 もちろん、非合法実験程度でコロニーポリ
スは動かない。支払いによってはもみ消して
さえくれる。問題になることなどないのだか
ら気にも止めないってのは納得できる。だが
ホプシスの件はどうなんだ? エスケイドは
何を隠そうとしている?・・・・クマか?
 俺は慌ててその考えを頭から追い出した。
あのクマ屋の主人は人間の事件には関わらな
い。それはないだろう。ないんだよ!!
 
 だとすれば一体・・・。俺が2杯目のピク
ピクコーヒーをウェイターのサボテン男から
取り上げた時、携帯のコール音が鳴った。
 ズーフェイからだった。
 「あ、B・J。無事でしたか。」
 「レーテマンの{思いやり}は無くしちま
ったがな」
 「そりゃ、ぼくもですよ。結局あの人、連
れてかれちゃいましたから、恨まれても無理
ないんじゃないスかねぇ」
 こちらの意味は正しく伝わってないようだ
がまぁいい。説明するのも面倒だ。
 「じゃ、罪滅ぼしにレーテマンの奪回作戦
といこうか。俺の伝言はヨッテンハイムに伝
えたかい?」
 「いえ、ぼく今の今まで隠れてたもんで」
 「賢明だな。じゃ、レーテマンについての
調べもまだか」
 「それはいくらか進んでます。隠れ場所で
も端末は確保できましたから」
 「上等だ。データを転送してくれ。で、な
そのあとすぐコロポリに戻って、ヨッテンハ
イムに例の伝言を頼む」
 「わかりました。合流はどうします?」
 「そいつは予定変更だ。事務所にゃ来るな。
お前はひきつづきレーテマンについて調べて
くれりゃいい。新しくなんか出たらデータを
送ってくれ」
 「はい。じゃ、お気をつけて」
 ズーフェイが通信を切ると同時にレーテマ
ンについての情報が俺の端末に流れ込んで来
る。
 
 アルフレッド・レーテマンについての情報
は極めて平凡なものだった。あえて特異な部
分を捜すとするなら、例の生まれついての難
聴くらいのものだが、これにも{生活上なん
ら問題はない}という但し書きが付いている。
補聴器の必要もなかったらしい。
 そういえば奴さんも自分の難聴については
何も言わなかったな。音痴についちゃ、言い
訳の一つもこぼしていたが。・・・ここ数年
のことで、以前はそうでもないと言っていた
か。そして{音}が聞こえはじめたのが2年
前。
 俺はレーテマンの経歴と病状を照らし合わ
せてみた。
 5年ほど前、22の春にレーテマンは地球
の貿易商社に就職している。音痴はそのころ
からだ。そして{音}のきっかけとなった発
熱の2月ほど前、中間管理職へと昇進してい
る。発熱の原因には過労による風邪の悪化と
あった。
 診断を下した医者は・・・エスケイド法人
健康センター・・・。いくつかのデータと照
会してみるとレーテマンの所属する貿易会社
は厚生セクションとしてエスケイドと契約を
している。
 レーテマンとエスケイドは繋がっていた。
ではその関係はどこまで遡る? 俺はレーテ
マンに関する医療記録を並べてみた。
 レーテマンとエスケイドの最初の接触。何
のことはない。それは奴の出生記録だった。
 レーテマンは人生のもっとも不幸な瞬間か
らエスケイドと関わっていたのである。
 そして最も俺の目を引いたのは10年ほど
前のエスケイド記念医療センターによる、こ
のアイヤー・オブ・ザ・ドラゴンへの保険利
用者感謝ツアーの名簿。言うまでもないだろ
う。アルフレッド・レーテマンの名がそこに
あった。
 
 エスケイド記念医療センター、カンマハド
・ホプシス、そしてアルフレッド・レーテマ
ン。この3つに関わる何か、おそらくはホプ
シスによってレーテマンに施された治療のデ
ータ。
 何らかの理由でエスケイドが処分しようと
したそれはカンマハド・ホプシスによって保
存されていたのだろう。そしてエスケイドは
それを見つけ出すことが出来なかった。
 エスケイドはどこぞの海賊さながらに恐れ
ているにちがいない。ワニが飲み込んでいる
かもしれない時計の存在に。
 
 それだけが今の俺の武器だ。
 
 さて、客にご足労願うのも申し訳ない。こ
ちらから出向くとしようか。エスケイド記念
医療センターに。