「獲物と狩り人の不始末」

 喧嘩ってのは、大抵が初手の一撃で決まる。
基本的に俺の関わっている業界じゃ、初手の
不意打ちで片が付くので、喧嘩そのものがあ
まり起こらないのだが、例外というものは何
にでも発生する。変態の一人も絡めば尚のこ
とだ。
 そして今、善良なワニに絡んでる黒服のオ
ッサンも紛れもなくその類例だった。
 「ゲナーの仕事もやってるのか。手広いな」
 俺は四足から直立へとポジションを変える。
 「・・・なるほど。その体勢のお前とやりあっ
たことはなかったな」
 モードレイは指一つ動かさない。
 「やりあう気はないな。趣味は広いほうだ
が喧嘩にまで手をのばしちゃいない」
 俺もまだ動く気はない。とりあえず、動か
ないかぎりはこっちが有利だ。わざわざ俺の
ほうからカードを開く必要はない。
 
 モードレイにすれば、地下に兵隊を配置し
たことなんざ、こちらに教える義理はない。
 わざわざ口に出したかぎりは、なんらかの
狙いがある。つまり、俺の移動先をディゴス
の店方向に限定したいのだ。
 敵はあくまで俺を消すという前提を引きず
っているが、こちらはそんな重りをくっつけ
ちゃいない。どこへ逃げようが、ここで喧嘩
を楽しもうが構わない。せめても移動先くら
いは限定しておきたいところだろう。
 ズーフェイとレーテマンの安全を確保する
ためには、確かに店に戻るしかない。無論、
モードレイはそこを突いてくるつもりだ。だ
からこそ俺のカードには価値がある。
 
 「!」
 俺は軽く体を後方に引くと、横っ飛びに右
へ移動した。俺が後方へ引くと読んでいたモ
ードレイだが、傍目には一瞬の隙も見せず、
俺とディゴスの店をさえぎる位置に移動する。
 だが、その傍目に見えない一瞬こそが俺の
狙いだった。俺はモードレイの移動の瞬間に
後方の暗闇へと飛びのいていたのだ。
 「・・・・・・そういうことか」
 モードレイはゆっくりと俺が消えた闇に向
かって歩きはじめる。どうやら俺がズーフェ
イとレーテマンを捨てる策に出たことに気づ
いたらしい。
 ここで有利とばかりに襲いかかっちゃ意味
がない。俺がズーフェイとレーテマンの安全
を捨石にして獲得したのは位置と距離の優位
だけだ。正直、喧嘩でこのオッサンに勝つ自
信はあまりない。
 有利なカードを切っちまった以上、あとは
逃げの一手だ。すまんな。レーテマン。縁が
あったら埋め合わせはするから。
 
 俺はこの界隈の地図を頭に浮かべ、幾つか
の下水への入り口に目星をつける。
 自慢じゃないがワニは陸の上じゃ、さほど
に速くは動けない。
 元が人類だとしても、三回くらいは化け物
と養子縁組していないと計算があわない速度
で動くモードレイから逃げるなんてのは、ワ
ニの基準を遥かに逸脱した行為だ。
 種族の誇りとてめぇの命を同時に守りたい
俺としては、自分の土俵である水際に潜り込
むしかない。
 当然、この種の業界における関係にしては
異常に俺と長い付き合いをやってるモードレ
イもこの点は熟知している。
 奴さんとしちゃ、どうあっても陸の上で事
を収めなきゃならない。モードレイの頭にも
俺と同種の地図が浮かんでいるこったろう。  
 
 最短距離にある物件を狙うか、次善、三善
と外してかかるか。
 モードレイからかすめとった優位はほんの
わずかだ。選び直す余裕はない。
 もちろん、俺が逃げに走ることを予測した
モードレイがトラップをしかけている可能性
は近距離にあるものほど高い。
 だが、奴に追いつかれる前に俺が飛び込め
そうな下水口は贔屓目に見ても三つがいいと
ころだ。
 最良も三善も似たようなもんだろう。だっ
たら迷うのも馬鹿らしい。俺は最短距離にあ
る下水口へと跳びこんだ。
 
 「ちっ」
 俺の目の前にある、なつかしの我が家への
道は、鱗が総毛立つような、冷たい、細い光
りに飾られていた。
 極細鋼線。0、000001ミリなんてぇ
無茶な細さの金属の糸だ。まぁ、鋭い刃物の
刃先だけがそこにあると思えばいい。
 俺が飛び込んだ下水へと続く竪穴には、そ
いつがワニ一匹通れないほどに張り巡らされ
ていたのだ。
 もちろん、体を分離する趣味のない俺とし
てはその場でとどまらざるを得ない。狭い下
水口の中じゃ方向を変えることも不可能だ。
 
 選択はとりあえず間違っていた。
 だが、俺は安堵している。これは最悪じゃ
ない。最悪ってのはこの場にクマ屋の女主人
なんかが居合わせることだ。
 今の俺はまだ幸せなのだ。どうやら命の心
配もないみたいだしな。
 
 「・・・・で、いつ宗旨変えをしたんだい
モードレイ」
 俺が呟くと、笑いとも喘息ともつかない声
が上から響いて来た。
 「今回は特別にな。クライアントの注文が
お前との交渉だもんでな」
 モードレイは基本的には{消し屋}である
クライアントにとって邪魔なモノを消すのが
仕事だ。
 だが、基本型だけで食べて行けるほど甘く
はないってのは堅気も俺たちも同じようなも
んだ。仕事の有り様はいくらでもある。
 実際、これまでだって同じ立場でモードレ
イと向かい合ったことなどない。同じなのは
向かい合ったあと、おっぱじめるのは命のや
り取りだったってことだけだ。
 ついでに言っておくと、戦い様だって毎回
違っていた。同じ相手に同じ手を使う馬鹿が
看板を出せる業種ではないのだ。
 故に、モノを消滅させることにおいて一切
の不手際がないモードレイが、ワニの目にも
明らかなトラップをこれみよがしに仕掛けて
いるなんてパターンもないわけじゃない。
 
 だが、それでも・・・
 「お前さんが{消さない}仕事を受けるっ
てのは意外だったな」
 「そりゃ、B・J・クロコダイルの意表を
突けるとなれば、それなりに面白かろうと思
ってな」
 「・・・・なるほど」
 「では、ビジネスだ。いいかね?」
 いいも悪いもない。こちらは身動きすら取
れないのだ。例えモードレイが中学生時代に
作ったポエムの朗読なんぞはじめたところで
黙って聞くしかない。
 「Mr・レーテマンの件からは手をひく。
見かえりは、ここから命を持って家に帰れる
こと」
 素敵なポエムだ。
 「ズーフェイとレーテマンは?」
 「犬コロはもともとこちらの眼中にはない
よ。アレは押さえるとなるといささかやっか
いな奴でもあるしな。・・・で、Mr・レー
テマンについて言うなら、そういう質問をし
ないというのが、手を引くということだろう
? ただ忘れればいい」
 たしかに。だが、一つ腑におちないことが
ある。
 「あとになって、この件についてコメント
求められるなんてことはないんだろうな?」
 「・・・それも、今は考えるな。そういう
交渉をしている」
 モードレイも思い当たったらしい。ただこ
の件から俺に手を引かせたいのなら、モード
レイには奴さんにとって極めて平凡な依頼が
行ったはずだ。
 モードレイのクライアントにとって、俺は
将来必要となる可能性を含んだ存在だという
ことらしい。
 「で、返答は?」
 「・・・なぁ、お前さん、誕生祝いをくれ
る人はいるかい?」
 「・・・・・・」
 「俺にゃ、4年分を一度にくれる奴がいる
んだ。ついでに香典と出産祝いもな!!」
 「!?」
 俺は言い切らないうちに鋼線の張りめぐら
された下水管へと身をおどらせた。
 
 なるほどな。イヤなやつの意表を突くとい
うのはなかなかに楽しい。
モードレイの読みの中にはワニの自殺なんて
のは多分なかったろう。
そして、俺のポケットにジッポーのライター
が5つとシガーケースが3つ入ってたなんて
のも。
 俺は自分が下水に飛び込む水音とともに奴
さんの舌打ちの音をたしかに聞いた。
 モードレイの眼が、鋼線のあちこちに引っ
かかったスタボロのライターとシガーケース
を見逃すはずはない。
 俺は自分が飛び込む際、体と鋼線が触れな
いよう、あらかじめそれらを噛み込ませて鋼
線をカバーしておいたのだ。
 一八で最短位置にある下水口にとびこんだ
のもトラップに対して手を打つ時間が少しで
も稼げるからだ。多分、モードレイも一目で
状況を把握したにちがいない。今ごろ腹の中
でどんな素敵なポエムを捻ってるかと思うと
可笑しいやらこわいやら。
 
 「へ・・・」
 俺は笑いかけた口元を引き戻した。
 少なくとも、今すぐ奴が追ってくる危険は
ないだろう。下水道はこっちのテリトリーだ
し、跳び込めば鋼線に刻まれるのは先方だっ
ておなじことだ。
 となれば、次の勝負はこちらが下水道から
顔を出してからということになる。わが身を
思うなら、当分このぬるま湯にひそんでれば
いいことなのだが、それではモードレイのク
ライアントの意図するところと何も変わりは
しない。相手の思惑にのっかってたんじゃ、
こっちの商売、あがったりだ。
 体勢が整い次第、うって出ることになる。
 もちろん、モードレイだってそいつは百も
承知だろう。これはなんらかの武器を手にい
れておく必要がある。
 そう、相手が気にしている、俺が{もって
いるかもしれない武器}、少なくともその正
体くらいはつかんでおかないとな。