「ここでは珍しくもない死闘」

 スァンッ! ロボットのスカ屁のようなリ
ニアガンの発射音と同時に俺は後方の闇へと
飛びずさる。かすかに鼻っつらのウロコをか
すったようだが、つい先だっては目玉のあっ
た位置だ。被害としちゃ、悪くない交換だっ
たろう。
 もっとも、撃ち損じたハンターの方はたま
ったものじゃなかろう。初手の一撃で仕留め
損なうってことは、持っていた優位をほとん
ど失うに等しい。射撃の腕も仕掛け方も、か
なり上等な奴だが、それだけにこのしくじり
の大きさは解っているはずだ。
 真っ先に仕留めるべきワニが消え、あとに
残ったのは事態が飲みこめないクライアント
と、わかっちゃいるが、身が竦んで動けない
腰抜け犬。そして敵の銃口は沈黙を守ってい
る。
 思ったとうりの上客だ。
 この類の奴等は、闇にひそんで自分の気配
を探っている敵がいる状態で、いつでも撃て
る的に無駄弾を撃ったりはしてくれない。
 奴等が今、気にしているのは棒立ちの間抜
け二人ではなく、どこにいて、いつ襲いかか
ってくるかも判らないワニだけだ。
 街灯の光りを浴びて立ちつくす哀れな二人
は放っておいてもいいだろう。本人たちの心
象についてはいささかの問題があるだろうが、
このクラスの客相手に選べる手は多くはない。
なにしろ、俺をしてまだ敵の数を読めずにい
る。 
 
 「B・J、どこです!? B・J」
 レーテマンがわめく。いいぞ。その調子で
騒いでくれればこっちは移動しやすい。
 暗闇から撃ってきたとなれば、おそらくは
暗視スコープくらいは持ちこんでいるんだろ
うが、こっちは人様よりは多少クールに出来
ている。熱源になるなんてほのぼのした趣味
は爬虫類にはない。一方、こちらは夜眼が利
く上、熱源を探る器官も自前で持ち合わせて
いる。本来は爬虫類でも、もっとスリムな連
中の持ち物だが、ややこしい出生をするとワ
ニにだってくっついてくる。せめて便利に使
わねぇとやってられない。
 視覚が頼りにならない上、聴覚もレーテマ
ンのイカした金きり声のBGM付きとなれば
敵は多分、わめいている本人より不安な状態
にあるだろう。状況はワニのいる河にどっぷ
りつかっているのと大差はないのだ。
 と、なればいつまでも不利な闇の中には居
てくれない。そして出るとすれば。
 「B・J・・・ひぁっ」
 ズーフェイが甲高い声を上げる。頭上の闇
から人影が舞い降りたのだ。姿を消しての闘
いに分がないと判れば、レーテマンとズーフ
ェイを確保して、俺の行動を制約する。もち
ろん、真っ先に飛び出す奴の危険率はバカ高
いが、待ってましたとそいつに仕掛ければ、
今度は俺が未だ闇の中にいる連中の的になる。
 だが、俺はためらいなく動いた。飛び出し
てきた奴に向かって、ではない。標的は潜ん
でいる気配のほうだ。
 敵が何人いるのかはわからない。わかって
いるのは初手の一撃を放った奴の位置だけだ。
だが、今はそれで十分。
 闇に突き刺した俺の鼻っつらのピット(熱
感知器官)は人間一人の体温を間合いに捉え
ていた。
 
 暗色のジャケットを着込んだ男が銃身の長
いハンドガンを構え。壁に背をあずけながら
周囲の気配を探っている。通常のチンピラ相
手なら、この男が不覚をとることはまずない
だろう。だが、ワニを相手にするにはいささ
か経験不足だったようだな。
 俺は男の脛にワニの第二の武器を叩きこん
だ。
 「おぐ!」
 男のくぐもった声と、骨の砕ける妙に金属
っぽい音のセッションが響く。横殴りのワニ
の尾はスパイクを打込んだ鋼鉄の板に等しい
破壊力を持つ。男のブーツはそれなりのプロ
テクターを兼ねてはいたが、ワニ対策として
は不十分だったようだ。
 膝をついた男は、それでも銃を構え、周囲
を見渡す。えらいもんだ。洒落ではなく相手
を見上げていた俺と男の視線がようやっと合
わさる。が、次の一瞬には俺の尻尾と男の顔
面の邂逅がまっていたので、奴は驚愕に顔を
歪める暇もなかったはずだ。
 俺は修羅場でまで人世界の礼儀をまもるほ
ど、お目出度くはできていない。ワニ本来の
ポジションである、地面にかぎりなく近い四
足にもどっている。
 直立状態の俺を念頭においていた男に、足
元ににじり寄る生き物を感知するのは難しか
ったろう。
 
 さて、残りは何人だ? おそらく、他の奴
はこの位置を狙える場所に潜んでいるはず。
一人が倒されても、その瞬間に反撃に転じる
ことが可能なようにだ。
 俺は周囲に意識を向けようとした瞬間、壁
から跳びずさる。銃撃は上から来た。
 上方の敵が感知できたわけではない。上か
ら来られたらまずいと思っただけだ。敵とい
うのは大抵、自分にとって一番イヤなところ
から来るもんだからな。
 
 敵は4mほどの高さから、逃げる俺を狙い
撃ちしてくる。飛び道具で戦う場合、敵に高
度で勝ることは圧倒的な優位を約束する。
 おまけに敵の銃は、同じリニアガンでも昼
間の優等生が使っていたショートコイルでは
ない。ワニのウロコにだって、痛いくらいの
傷は付けられるミドルコイルだ。
 すでに4発ほどの銃弾を背中にもらってい
る。致命傷ではないにせよ、まずいことに変
わりはない。敵もこの局面を逃しはしないだ
ろう。だとするとーーー。
 俺は遮蔽物を求めて近くの建物にくっつい
ているタラップの下にもぐりこむ。ささやか
な鉄板は俺の体を敵から隠しきるには無理が
あったが、これで十分だ。なぜなら。
 「ウアッ!」
 壁の上から身を乗り出し、こちらを狙って
いた人影が4m下の自分の相棒めがけて落っ
こちた。
 俺の手には、先程仕留めた男からのプレゼ
ントであるリニアガンが握られている。
 俺は修羅場でまでワニの定石を守るほど、
良い子ではない。銃だろうが、ミサイルだろ
うが使えるものは使う。
 もっとも、銃撃戦の最中に身を乗り出した
お調子者にはそうは思えなかったろう。奴さ
んの眼に映っていたのは、四足で這い回るワ
ニだったんだから。
 
 これで2人。いるとしてもあと一人か、い
や、もう一人いたとすれば、今の銃撃戦に参
加してこないはずはない。敵はもう、うちの
マヌケたちのお守り役一人だ。
 俺は街灯に照らされ、こっちを睨んでいる
男に目を向けた。むこうからはこちらは見え
ないだろうし、下手に人質をとってしまった
せいで、動くこともできない。俺の誘い出し
に失敗した時点で、この男の戦術的価値はな
くなっている。
 「あの、二人、やられたみたいですね。お
仲間」
 ズーフェイが男に声をかける。男は応えな
い。
 「一応、言っときますが、こういう状況、
B・Jは得意なんですよ。ワニって天性のゲ
リラだそうでしてね。僕も何度か巻き込まれ
てますけど、敵が無事だったためしがないん
です。デュルヘデンの親分さんとやりあった
ときなんか、僕の頭の上から血の雨がドバッ
と・・・」
 「ひ、人質は無事だったんでしょうね?」
 応えたのはレーテマンだ。
 「体は無傷でしたがね、精神科に長いこと
入院してましたよ」
 男が小刻みに震えているのがここからでも
わかる。恐怖ではない。トンチキどもへの怒
りからだ。だが、怒りにまかせてトンチキに
銃口を向けようもんなら、俺にその隙をつか
れる危険性が高い。
 この状況で、奴がふんばっていられるのも
時間の問題だろう。俺は奴等のすぐ横の闇を
すり抜け、後方へと回りこむ。
 案の定、奴はズーフェイとレーテマンを放
り出し、俺のいる方向へあとじさってきた。
 俺は軽く尻尾をふりあげた。
 
        *
 
 ディゴスの店は五龍街の外れ、俺たちが客
を迎えた場所からそう遠くない雑居ビルの地
下にある。完全個室制で、店主のディゴスは
例え爆弾が放りこまれようとも客が帰るか、
契約時間が切れるまで個室のドアを開けよう
とはしない。
 「死ぬかと思いましたよ」
 「思ってる間は死にやしない」
 俺は注文を済ませ、担いできた荷物を放り
出すと弾力なんぞ数世紀も前に失っているソ
ファーにすわりこんだ。
 まだなにか言いたげなレーテマンだったが、
荷物がうごめくのを見ると出かかった言葉を
ひっこめ、俺の後ろにオタオタと移動した。
 「こ、こいつら、なんなんです?」
 「昼間の坊ちゃんのすごい版」
 俺は壁が開いて出てきたトレイからコーヒ
ーカップを受け取る。
 「ズーフェイに連絡を取らせておいたから
な。早けりゃ今日中には来ると思ってたんだ」
 「ぼ、僕、そんな連絡はしてませんよ!?」
 ウインナーコーヒーに顔を突っ込もうとし
ていたズーフェイが慌ててクリームまみれの
顔をはねあげる。
 「コロニー・ポリスには連絡をとりました
がB・J、あなたの指示じゃないですか」
 「ああ、昼間の坊ちゃんをよこしたやつに
おかわりを頼もうと思ったんでな」
 「・・・コロニー・ポリスにいるってんです
か?」
 「本人じゃなかろうが、御注進役くらいは
いるだろうな。でなきゃ、あのタイミングで
坊ちゃんがホプシス邸の俺たちを襲って来る
わけがない」
 「あ、そうか。私たちがホプシス邸に行く
と知っていたのは、僕たちをのぞけば、資料
を廻してくれたコロ・ポリの同僚たちしかい
ませんからね」
 「その時点で、相手がコロ・ポリの職員一
人くらいは抱き込める力があるのは判ってた
んだが」
 俺はまだ目を覚まさない荷物に目を向ける。
 「そこいらの酒場で雇える程度の奴じゃな
い。坊ちゃんの失敗を知ると同時に、これだ
けの兵隊を用意できるとなりゃ、その筋の口
入屋にも顔が効くってことになる。コロ・ポ
リの捜査官長クラスを抱き込むのとは力の桁
がちがうぞ」
 力というのは金でもいいし、権力でもいい
が、どちらにせよ、コロ・ポリと裏社会の顔
役じゃ、必要なレベルが三桁はちがう。
 「最低でも、政治屋か、一企業の重鎮、金
持ちだとすりゃ富豪とくらいは呼ばれる奴だ。
口入屋本人が黒幕って線もないじゃないが」
 「そんな人たちとオルゴール音盤にどんな
関わりがあるっていうんです?」
 レーテマンが半ば呆然とした表情で言う。
 「そりゃ、そんな人たちに訊いてみるしか
ないんだが、その前に誰がそんな人なのかを
訊かねぇとな。・・・おい。起きろよ」
 俺は荷物に声をかける。レ−テマンとズー
フェイの体にかるい痙攣が走った。
 
 荷物は寝たふりを諦めたのか、大儀そうに
起きあがる。不機嫌に顔をしかめちゃいるが、
両腕と右脚の要所要所に故障があるせいだろ
う。俺の経験からいくと、手足のほとんどを
ブチ折られた状態の人間ってのは極めて素直
なはずなんだ。
 「イギスの店まで送ってやる。こっちの条
件はそれだけだ」
 俺が言うと、荷物はこちらをジロリと睨ん
でからため息ついでに答える。
 「夕方、鳩巣飯店に呼ばれた。ワニを片付
けて、男は連れてこい。犬はどうでもいい」
 ほう、昼間とは話が変わっている。昼間の
坊ちゃんはそんな複雑な指示は受けていなか
った。受けていたらさっさとゲロしたろうし、
素人一人でこなせるミッションでもない。生
かすのは殺すことの百倍は難しいのだ。
 「鳩巣てことは、ボスはゲナー・ワンか」
 俺の呟きに荷物は沈黙で答える。 
 俺はインターホンを取ると、ディゴスにイ
ギスの店への宅急便を頼んだ。
 「あの、イギスさんていうのは」
 レーテマンがおずおずと聞いてくる。
 「かくまい屋だ。暖簾さえくぐりゃ、出て
行くまでの安全を売ってくれる。命より高い
買い物の実例でもあるがな」
 おそらく、この荷物もここ数年の稼ぎを全
部巻き上げられた挙句、ろくに治ってもいな
い手足を抱えて放り出されることだろう。だ
が、一応自分の手持ちの安全策を講じるくら
いの時間は稼げるのだ。ここの店先に放って
おかれるよりは生存確率は遥かに高い。
 「まぁ、乱暴な仕事をやってりゃ、こなし
た仕事の数の数倍は敵が出来る。イギスの商
売に不況はないな。もっとも、他の親分衆と
は比較にならねぇ戦力抱えてねぇと、やって
らんねぇが」
 俺の話が終わらないうちに、影のように部
屋に入ってきたディゴスが、荷物を引きずっ
て出ていった。
 「この店もイギスのファミリーの一つだ」 
 「はぁ・・・で、あの人はもう、そこへ行っち
ゃうんですか? 」
 「もう訊けるこたぁないよ。あいつは知っ
ていることは全部話した。俺も知りたいこと
は全部訊いた」
 「・・・・・・そんなものなんですか」
 「そういう業界だ。人とか、それ的なもの
を消すのに理由なんざ知らなくていい。知っ
てもクライアントに消される確率が上がるだ
けで、儲けにゃならんさ」
 レーテマンはピンとは来ない様子ながらも、
それ以上の追求はしなかった。
 賢明だな。鶴が土竜の生き様を知ったって
なんの得にもならない。
 
 「じゃ、つぎは、そのゲナー・ワンと言う
人のところへ? 」 
 「殺したいほどお前さんに憎まれてるとは
思わなかったな」
 「え? わたしが? B・Jを? 」
 「ゲナーは口入屋としちゃ、そこそこの大
手でな。さっきの連中程度の兵隊なら50人
がとこ、抱えてる。俺が自分の命のためにゃ
2度とかかわりたくねぇと願う奴らも二桁は
いる。で、ゲナーは俺を消せと言ったんだぜ、
次に行くとこなんざ、決まってる」
 「ど、どこなんです」
 「あの世に行かなくてすむどこかだが」
 俺は部屋に備え付けのモニターのスイッチ
を入れた。ディゴスの店の周辺の映像が映る。
 店周辺に取りつけられた数百のカメラによ
って店の周囲はおろか、地下すらもモニター
することが可能になっている。
 「とりあえずは下水道だな」
 それ以外の全てに人影があった。ゲナーの
よこしたお代わりかどうかはわからないが、
ヤバい敵に狙われたとなりゃ、ヤサに戻るに
限る。あそこは俺の世界だからな。
 
 「ズーフェイ。調べ物を頼む。それと、コ
ロ・ポリに戻ってヨッテンハイムあたりに報
告してくれ。何のことかはわからないが、B
・Jがホプシス邸で見つけたと呟くのを聞い
たってな」
 「・・・何のことかはわかりませんけど、わか
りました。それで、調べ物というのは」
 「アルフレッド。レーテマンについて調べ
られること全部」
 レーテマンとズーフェイが顔を見合わせる。
 「24時間後に俺のオフィスでな」
 俺は再びモニターをいじる。人影の大半が
動いていない。恐らくはこの店にいる誰かの
客なんだろう。もちろん、俺たちの客もいる
かもしれない。ここから下水道に入っちまっ
たほうが安全だろうとは思う。思うが・・・
 「ズーフェイ。あと10分ここにいてくれ。
俺が戻らなかったら店から下水に入って、レ
ーテマンをコーラルの病院まで送ってから、
コロ・ポリにもどれ」
 「B・Jは? 」
 「敵の様子くらいは見ておきたいからな。
それに、逃げるにせよ、掻き回しておいたほ
うがいい」
 俺は両手をつき、ワニ本来のポジションを
とる。
 「わかりました。じゃ、10分待ちます」
 「だ、大丈夫なんですか? 」
 レーテマンが不安気に言う。出て行く俺の
心配をしているのか、頼りない犬コロと供に
残される自分を案じているのか、おそらくは
後者であろう。
 実のところ、さっきから耳の後ろの鱗が疼
いてしょうがない。笑えない状況が迫ってい
る時はいつもこうだ。
 俺は軽く尻尾を振って二人に応えると、部
屋を出た。
 
 ディゴスの店の安全保証は1歩でも店から
踏み出せば消滅する。
 俺は俺と似通った種族専用の出入り口から
店の外に這い出し、あたりの気配を探る。俺
たちの客が来ているなら、なんらかの動きが
あるはずだ。
 ・・・動きはない。ゲナーはまだ追撃を出して
いないのか? 考えにくい話だが・・・それに、
耳の後ろの疼きはますます・・・!
 俺の正面の暗闇がゆらめき、それがそのま
ま人の形をとったようなものが歩み出て来る。
 「・・・あんたか」
 「地下にも手は廻してある。しくじったな
B・Jクロコダイル」
 人よりも闇に近しいもの、クリーチャー殺
しのモードレイ。
 俺が自分の命のために、2度と出会いたく
ないと願っていた長身痩躯の死神は、その容
貌に似つかわしい、乾いた骨がこすれ合うよ
うな声で宣告を下した。