「鳴らずの鐘・歌わずの鳥」

 外見で人を判断するなという言葉の信者は
少ない。生存能力に致命的な欠陥があるから
だ。
 例えば、もしあんたの目の前に医者を名乗
る輩がいて、そいつの手が指の数の判別もつ
かないほど震えていて、顔面の右半分が緑色
の奇妙な海綿に乗っ取られていて、口から青
い泡といっしょにふひふひとかいう笑い声を
始終垂れ流していたら、治療を依頼するか?
 連中はする。そして日々その個体数を減ら
しつつある。哀れなこった。
 さて、余談ながら我がスポンサーであると
ころのミスター・レーテマンは死に至る宗教
の信者ではなかったらしい。
 俺が親切で案内してやった医院の扉を開け
るなり逃げようとしやがった。
 「どこへ行く」
 「だ、だって、あの医者。手が指の数の
判別もつかないほど震えていて、顔面の
右半分が緑色の奇妙な海綿に乗っ取られてい
て、口から青い泡といっしょにふひふひとか
いう笑い声を始終垂れ流していて・・・・」
 「どこかで聞いたような話だが、お前さん
根本的に間違ってるぞ。ドクター・コーラル
グリーンは寄生海綿としちゃかなりいい男の
部類にはいるんだ」
 「寄生・・・海綿?」
 俺がレーテマンに紹介した医者、コーラル・
グリーンはこの界隈の旦那衆の例にもれず、
人類ではない。適当な生物の肉体を乗っ取っ
て活動する、寄生海綿の一種だ。
 スポンジ状の体組織のすべてが脳に相当す
る役割を果たす上、組織自体が年々増加して
いるので、知能は人類なんぞがダンゴ虫に思
えるほどに高い。
 取りついている爺さんが甚だ不気味な風貌
をしているため、一見には勘違いされるが、
このあたりには珍しい常識人である。
 「私が何であるかと問えば医者であると答
えよう。君が病人であるなら、それ以外のこ
とにさほどの意味はないはずだ」
 コーラルグリーンが、自分の方を見ようと
もしない哀れな患者に慈悲深い言葉を投げか
ける。低い、穏やかな声だ。
 ただし、人体の口からは相変わらずひふひ
ふという奇妙な笑い声しか出てはいない。話
かけているのは海綿部分に裂け目のように開
いた口である。
 「あ・・・はぁ」
 レーテマンはようやくコーラルの方を向き、
慌てて視線を俺に戻し、結局下を向いた。
 己の寄って立つところが錆びた金物の床し
かないとは寂しい男である。
 「しかし、ドクター・コーラルグリーン。
私は病人じゃないんです。ミスター・B・J
は勘違いをなさってるようで」
 レーテマンは俺に、いや、正確には俺の足
にチラリと視線を向ける。
 「頭ン中で音が鳴ってるんで何とかしてほ
しいってことじゃなかったのかい? 俺の縄
張りはチンケなスペースコロニーのドブの中
だけだ。人のおツムの中なんてぇのは手に余
る」
 「いえ、ですから、私は私の頭で鳴り続け
てるこの歌を捜してくれないかと」
 「な、先生。こいつぁ、どう考えてもあん
たの客だろ」
 コーラルグリーンは暫し黙り込んだのち、
(いや、宿主の笑い声はむしろ、でかくなっ
ていたが)静かに言う。
 「軽薄であるからといって、言葉を嫌って
はいけない。意思の受け渡しに彼等以上の存
在を持たないのは我等の悲劇であり、福音で
ある」
 つまり、もうちょっと、この電波さんの話
を聞けってこった。それが嫌さに、こいつを
押し付けようとしてるのはお見通しだという
意味もちっとは含まれている。
 レーテマンも言葉の大意だけは理解したら
しい。少しの逡巡ののち、おどおどと口を開
いた。
 
          *
 
 念のために聞いておくが、お前さん、おど
おどとか、たどたどとかいう特殊な会話法は
好きか?
 俺は嫌いだ。よって、レーテマン氏の述懐
は俺が要約させてもらう。
 レーテマンがその音に気づいたのは27の
誕生日を二月後にひかえた冬、今からは2年
ほど前のことであった。
 季節なんて言う、落ち着かないもののある
地球で貿易を生業にしていたレーテマンは、
死人の誕生日を世界的に祝うなんてぇ変態じ
みた祭りの影響による超過勤務と、その年の
異常寒波で体調をくずし、寝こむ破目に陥っ
ていた。
 人類なんてぇ平生でさえ、無駄に高い体温
に魘されている連中が4度から熱をあげたっ
てんだから、レーテマンだってまともじゃ済
まなかった。
 夢だか現だかわかりもしない世界で奴さん
はずっと聴いていたのだ。その問題の{歌}
を。 
 オルゴールのメロディのような、それでい
て何かしらの言語を纏っているような不思議
な{歌}
 聴いたことのないはずのその{歌}になぜ
かレーテマンは安らぎのようなものを感じた
という。
 最初は見舞い客の誰かがオルゴールでも持
ちこんだのかとでも思っていたのだが、正気
が戻ってから聞いてみても、家人の誰もそん
なものは知らないし、{歌}も聴いていない
という。
 まぁ、熱もあったことだし幻聴という奴だ
ろう、妙な懐かしさを感じたところからする
と、子供の時にでもどこかで聴いた{歌}だ
ったのかもしれない、ということでその場は
収まったのだが、{歌}は幻ではなかった。
 疲労が溜まってまどろんだ時、することと
てなくぼんやりとしている時、「歌}はやっ
て来た。レーテマンただ一人の元に。
 周囲の誰に聞いてもそんな{歌}は知らな
いし、聴いてないという。
 俺が思っていたよりは常識の持ち合わせの
あったレーテマンは、すぐに医者に行ったら
しい。もちろん、それで何とかなったのなら
奴さんがここにいるわけもない。
 医者の答えは、異常なし。お疲れなんでし
ょう。で、あった。
 だが、医者の見立てはどうあれ、{歌}は
その後もレーテマンの元にやって来た。それ
も会社での昇進にともない、増える仕事量に
比例して回数を増やしてゆく。
 さりとて他人には聞こえない{歌}が原因
で仕事に支障をきたすわけにもいかず、レー
テマンは{歌}については来るにまかせるし
かなくなっていた。
 そして、あるとき、奴は気づいた。{歌}
が自分の疲労を癒していることに。
 不思議と懐かしいその{歌}が頭に届いて
いる間、レーテマンは心に抱えている雑多な
事々を忘れることができた。
 {歌}はレーテマンの友となった。
 そして一月ほど前、とあるきっかけで、レ
ーテマンは気づいた。
 かねてから{歌}の後ろにずっと妙な不協
音がかすかに聞こえるのが気になっていたの
だが、それが、俺たちの麗しの下水道の上に
デンと座り込んでいる、全地球文明圏的に有
名なアミューズメントパークのテーマソング
であることに。
 
         *
 
 「それで、そう気づいたら、いてもたって
もいられなくて、この{歌}を捜したくて、
ここまで来たんです」
 レーテマンの訳の判らんわりにはつまらな
い話しがやっとこさ終わり、俺は4箱目のゴ
ロワーズの空き箱をひねり潰した。
 「この上で垂れ流してるインケツな歌なら
我らの軽薄な福音とやらが通用する場所なら
どこだって流れてるだろ? なんでわざわざ
総本山まで詣なきゃなんねぇんだ?」
 俺は懐をまさぐり、この阿呆話につきあう
ための必需品を捜したが残念ながら品切れだ
った。もはやこいつの話しにつきあうのも5
分が限界だな。コーラルが代わりを勧めてく
れるが、あいにくとキャメルは口にあわない。
話しはあと5分だ。決まった。
 「その・・・壊れてたんです。」
 「お前さんのオツムのことなら、今更説明
不用なんだがな」
 「いえ、その、音が。{歌}にからんでる
ここのテーマソングが、その、壊れてたんで
す。10年ほど前、ここに来たときに聴いて、
変だなぁと思って、それで覚えてたんです」 
 ・・・残念なことだが納得できる話しであっ
た。アミューズメントパークでガンガンに流
してる各種の不愉快な雑音は件のテーマソン
グにかかわらず、無計画に建て増しされた、
コロニーの建造物の反響のせいで、当のアミ
ューズメントパークから離れるほどにゆがん
で聞こえる。
 まともなバージョンなら、いや、あのクソ
ったれなテーマソングをまとも呼ばわりはし
たくないな、少なくともゆがんじゃいないバ
ージョンなら人類のいるとこなら、どこでも
聞けるが、ゆがんだ版が聴けるのはここだけ
である。
 「するってぇとなにか? お前さんがその
{歌}とやらを聴いたのは、10年前、ここ
に来た時だってのか?」
 「いえ・・・。さすがに10年前のことぐらい
はっきり覚えています。その時に{歌}を聴
いたなんてことはありません。第一、そんな
簡単なことなら、あなたのところへ来てはい
ませんよ。ミスター・B・J」
 もっともなこった。俺もそんなつまらない
ものを客とは認めない。・・・つまり、これこそ
認めたくないことだが、レーテマンは俺の客
としての第一審査に合格したことになる。
 俺はしぶしぶキャメルに手をのばした。
 「医者としての興味で聞くのだが」
 コーラル・グリーンが口を開く。
 「{歌}は聴覚に等しく君には感じられる
のかね?」
 「え、はい。最初は当たり前に周囲の人に
も聞こえてるものだと思っていたくらいです
から」
 レーテマンはコーラル・グリーンを見て答
える。宿主がとっくに眠っちまったせいで、
不気味さがやわらいでいるのだろう。まぁ、
俺にゃヒトの美醜の感覚はよくわからんがな。
 「・・・・・・やはり{歌}の正体を掴まねば、
医学的にもこの件についての進展は見こめ
ないだろう」
 コーラル・グリーンはもっともらしく言う。
いくらか残っていた俺の逃げ道を塞ぐつもり
だ。俺がトンチキを押し付けようとしたこと
への意趣返しだろう。ちっ、寄生海綿が執念
深いのを忘れてた。
 俺が不機嫌なサッチモのような唸り声を上
げると、コーラルはすずしい顔で言う。
 「多少なりとも好奇心の動いた君が、それ
を放り出すことはあるまい。と、なれば、こ
こで音外れのハミングの練習をしているのは
定命なるものにとっての最悪の浪費かと思わ
れるが?」
 ・・・・・・時間の無駄だと言えよ。変な三文文
学の読みすぎだぞ先生。こんどチャンドラー
をみつくろって貸してやる。
 とはいえ、言ってることにも間違いはない。
俺はレーテマンの方をふりむく。
 「さて、そういうわけだ。出かけようか」
 「・・・へ? どこへ?」
 「そりゃ、お前さんにしかわからんだろ?
お前さんのオツムの中にしかサンプルはない
んだ。・・・・・・それとも、ここが気にいったか
? 寄生海綿はヒトを食わないとでも思って
んじゃないだろうな」
 俺はそれだけ言うとさっさとコーラル・グ
リーンのオフィスを出る。レーテマンが素敵
なワニとの散歩と、そろそろ引越しを考えて
いる寄生海綿の家選びのどちらにつきあった
かは言うまでもないだろう。
 
         *
 
 地球人類文明圏最大のクソったれアミュー
ズメントパークのクソったれなテーマソング
が多少はましなアレンジで聞こえてくる。
 四龍街と呼ばれるこのあたりは、リゾート
暮らしとか称してクソったれに寄生している
蛆虫どもの巣だ。
 もともとはリタイアした医者や学者の別荘
地だったらしいが、暖かくて美味しいものに
蛆がわくのは自明の理だろう。いまや元々の
住人は1割も残っちゃいない。
 「どうだい。」
 連れがいなきゃ絶対腰掛けないだろう19
世紀巴里風オープンカフェの椅子で、やたら
と遠慮がちに渡されるマンデリンを受け取り
ながら俺が聞くと、レーテマンは無傷のホッ
トドッグを持ち上げたまま固まっている。ど
うやら共鳴でゆがんだテーマソングの聞き分
けをマジになってやってるらしい。
 アイヤー・オブ・ザ・ドラゴンのあちこち
でアレンジされたソング・オブ・クソったれ
は聞くことが出来るが、アレンジのタイプは
場所によってちがう。
 そいつをレーテマンに聞き分けてもらおう
と、俺達はコーラル・グリーンの事務を出て
から丸一日、コロニー上層の観光ツアーとし
ゃれこんでいる。当然少しも面白くはない。
 救いといえばレーテマンが{歌}にまつわ
る壊れた音の聞き分けに夢中で、俺に観光案
内をさせようなんて暴挙には出なかったこと
だ。そんなことをもしやってみろ。{俺達}
はその場で{腹いっぱいの俺}に変わってい
るだろう。
 「かなり・・・」
 レーテマンが口を開く。
 「かなり、近いです。ここ」
 「ほう、そうかい」
 「ええ、この〜〜〜ってところが〜〜〜っ
てふうに」
 「いや、唄わなくていい」
 この一日で俺はこの捜査班の致命的欠陥を
何度も思い知らされている。つまり、唯一の
サンプルを再生できる媒体が音痴だってこと
だ。
 「いや・・・昔はこうじゃなかったんですが、
ここ数年は・・・でも、聞くほうはそんなでも
ないいんです」
 「気がついてるか? その言葉一本で俺達
は崖っぷちからぶら下がってるんだぜ」
 こういう命綱が切れなかったためしは有史
以来存在しない。て、ことはこのあたりで聞
こえるのが、自分の頭で聞こえる雑音に近い
というレーテマンの判断もアテにはできない
のだが。
 「んじゃ、問題は雑音の方からメインの旋
律に移るわけだが」
 アテにならない命綱でも他にないなら仕方
ない。いっそ手を放して飛び降りるという手
はあるがな。
 「ここいらに突っ立てりゃ、そいつが聞こ
えてくるってぇタナボタもあるまいよ。聞き
こみの一つもやらなきゃなんねぇんだが」
 はて、どう訊いたもんやら。
 レーテマン氏にボーカルを務めてもらって、
こんな{歌}知ってますかとか訊いた日にゃ、
紹介されるのはひきつけ起こした羊か、さも
なきゃ重度の喉風邪ひいたチャック・ベリー
だ。俺はどちらにも会いたくはない。
 「その{歌}なんだが、題名くらい判らな
かったのかい?」
 「それは、もちろん。調べられる限りは調
べましたよ。でも、どこのライブラリにもあ
の{歌}はなかったし、僕自身、他では聞い
たことのない{歌}なんです」
 俺の中で{手を放して飛び降りる}って
選択肢の存在感が大きさを増す。
 「じゃ、そのなんだ、特徴みてぇなもんは
? ジャズっぽいとかボサノバみたいだとか」
 「・・・そういわれると・・・そうですね。どれ
かというならカントリーソングに近いような
気がします。オルゴールにあわせて誰かが歌
っているような・・・」
 「ふん、オルゴールなぁ」
 音楽再生媒体としちゃ希少なほうだろう。
もっとも、オルゴールの奏でる音楽を他の媒
体で再生してる可能性もないわけじゃないが。
 俺は先ほどから、やたらとこちらを気にし
ているウェイトレスのねーちゃんに手をふる。
まぁ、無理もない。こちとらワニ役なら俳優
だって務まるハンサムだ。
 案の定、ねーちゃんは重力に異常をきたし
たような歩き方でこちらに近づいてくる。目
に涙まで溜めなくてもいいじゃないかと思う
んだが、まぁ、古来から女は鰐肌にゃ弱く出
来てるもんだしな。
 「ちょっと訊きてぇんだがな、お嬢ちゃん。
この辺にオルゴールに詳しいとか、自慢のオ
ルゴールを持ってる、なんてぇ物好きがいる
てぇ噂、聞いたことねぇかい」
 「・・・探偵ってそんな唐突なものなんですか」
 レーテマンがことさら声もひそめず言う。
 「手始めは広くて薄いとこから塗りつぶす
んだよ。それにお前さん、例の{歌}につい
ちゃ調べられる限りは調べたっていったろ?
だったら、俺達の捜してるものは何にせよ、
珍しいもんにゃ違いない。珍しいもんを持っ
てりゃ、人は大抵、どこかで喋りたくなる。
お綺麗なオープンカフェとかでな」
 俺はねーちゃんの方をチラと見る。おや?
何やら目つきが変わってる。
 「わにさんって探偵さんなんですか? で、
オルゴールってことはやっぱりオルゴール殺
人事件の捜査なんでしょ?」
 ねーちゃんがテンションを上げて言う。
 ・・・なんだと? 俺の人生においてワニを
除けば一番馴染みのある単語を聞いたような
気がしたが。
 「ねーちゃん、何か?そいつは昨日の深夜
サスペンスかなんかのタイトルかい?」
 「ちがうよぉ。この先に住んでたお爺さん
が強盗に殺されて、なんだか珍しい題名のオ
ルゴールに突っ伏して死んでたって事件が去
年あったんだよ。」
 「・・・珍しい題名のオルゴール?」
 「うん、誰も聞いたことない曲で、お爺さ
んのオリジナルじゃないかってことだったん
だけど、えーと、なんだっけな。・・・・・・そう、
{鳴らずの鐘。歌わずの鳥}!」
 レーテマンは氷ついたように俺を見ている。
 最初に言っておくべきだったかな。捜し物
の行く先で人死にに会うのは、俺の水泳に継
ぐ得意技なんだって事を。
 俺は進むべく進みだした状況に対してとる
べき行動をとるべく立ちあがった。