「医者へ行け。いろんな意味で」

 「ワニ」
 「ワニ?」
 あまりの下らなさに俺は頬杖をつきなおす。
 「ワニーー!?」
 こちらのアクションに対して、客はわずか
なヴァリエーションを加えて応じてくれた。
 ありがとう。
 御礼に、君にはこれ以上、なにも期待しな
い。
 「3度の確認で大前提は判ってもらえたと
思う。その上で、君の取り得る行動は2つだ。
喋るか、逃げるか」
 客はアタフタしながらも、なんとか気を取
りなおしたらしい。
 結構なことだ。この界隈じゃ、暖簾をくぐ
った蕎麦屋の親父が人類よりも、はるかに鼠
に似ていたところで気にしていてはやってい
けない。肝心なのは蕎麦の美味さと、食って
命に別状はないか、だけだ。
 蕎麦屋が探偵屋になり、鼠がワニになった
ところで、この辺の要領は変わりはしない。
 客はなんとか、事務机を挟んで俺の対面に
ある椅子に腰を落した。
 膝に機能に多少の不備が出ているようだが
その椅子にあまり乱暴に座るのはお勧め出来
ないぞ。俺が下水から引き上げたときにゃ、
すでに寿命を2割ほど、超えていたんだから。
 「あの・・・」
 客が口を開く。さぁ、ようやっとすべての
始まりだ。自分の産まれに不満はないが、こ
の面倒が仕事の口開けにつきまとうことにだ
けは、いささかの不幸を思わないでもない。
 「あの・・・ワニですよね?」
 今回は断言できる。俺は不幸だ。俺は目の
前にいるこの阿呆に目医者を紹介すべきなの
か、それとも自信啓発セミナーか?
 「目に見えるもの必ずしも真ならず。とお
前さんに教えた奴に伝えてくれ。蝸牛の歩調
で歩くには人の寿命は短いぞ、とな」
 「はぁ?」
 「いや、意味は考えなくていい。当たらん
とわかってても石を投げたいときはあるんだ」
 俺は新しいゴロワーズの封を切って、火を
付ける。口のサイズのわりにはささやかな煙
を吐きだし、阿呆に向かって言った。
 「さて、ここには探偵と依頼者の関係を求
めて来たのか、それとも、ワニと人間のそれ
か? 後者だとすれば、小腹はすいてる。期
待に応えられんでもない」
 さすがに、今度は意味がわかったらしい。
 阿呆は慌てて首をふった。
 「結構。では探偵と依頼者の良い関係を築
くとしよう。どうぞ。」
 俺は人類よりは短めの手を軽く振って促す。
 客はビクッとして立ちあがったが、思った
ほどの阿呆でもないらしく、こちらの言葉の
意図は汲み取れたようだ。
 「は、はい! え、と、では、お話を聞い
ていただきたく・・・」
 客はそう言いつつ、再び椅子に腰を落す。
 客の膝の不備の付けを押し付けられた椅子
は、けたたましい騒音とともにその寿命を終
え、俺は、どこを悪くしたもんだか気を失っ
た客が目を覚ますまで、当たらない石を無為
に投げつづける破目に陥った。

         *

 さて、俺にとっての阿呆の基準を教えてお
こう。いらんことまで知りたがる奴。それに
つきる。
 必要なことを知ろうとしないなんて奴は、
この界隈を首を両肩の間にのっけたまま、歩
けはしない。
 よって、生きて阿呆をさらす最大手はその
種の生き物ということになる。
 自分がこれから厄介ごとの相談を持ちかけ
ようとしている探偵が何故ワニなのか、俺の
判定では、これこそが{いらんこと}の最た
るもんなんだが、客の産まれによってはその
基準は理解されないかもしれない。
 阿呆をないがしろにして立ち行く商売は無
いとも言うことだし、一応、客が目を覚ます
までの間にプロフィールのメモを作っておい
てやることにする。
 口頭よりはよっぽどこちらの精神に良いだ
ろう。そして、このスカッぴきな状態にやる
ことすらなく、客の不健康な鼾を聞き続けて
いるなんて状況よりも、な。
 俺の名はB・J・クロコダイル。地域限定
のしがない探偵だ。
 すでに、お分かりだろうとは思うが、俺は
ワニである。通常のワニと呼ばれる輩よりは
多少隠し芸も出来るが、忘年会で受けがとれ
るほどのものでもない。まぁ、そういうワニ
なんだと思っておいてくれ。
 俺に隠し芸を仕込んだのは、この界隈の書
類上の持ち主でもある変態のおっさんだ。
 生物学者とか、チャイニーズ・マフィアの
親玉とか、でかい観光スペースコロニーの
オーナーだとかの肩書きもあるが、その事実
上の被害者としては、変態のおっさん以上の
称号は与えたくない。この界隈に巣くう同輩
たちも同意見だろう。
 人類が、恒星系内とかいうセコい限定付き
ながら、宇宙に進出を果たしたころ、ささや
かながら奴等が持ち合わせていた倫理感が、
どこかにふっとんだ時期があったらしい。
 まぁ、宇宙なんて絶望的にでかいものの前
に平然と立てるほど、奴等は強くなかった。
なりふりかまわず新しい何かを求めた。うち
のおっさんもそんな一人だったのだろう。
 地球生物のあらゆる可能性を内包した新た
なる最強生物。たしか唱えていた御題目はそ
んなものだったと思う。
 オリジナリティも面白みもない話だが、こ
のおっさんの特異な点は、宇宙ってとこにも
それなりの法律が出来た今でも、権力の傘を
かぶってバチあたりな研究を続けているとこ
ろで、さらに洒落にならない点は、それなり
に(成功作)もあるという点だ。 
 ちなみに直立して喋るワニなんてのはその
仲間には入れてもらえない。・・・入りたくも
ないがな。
 おっさんが権力と金にあかせて造りだした
俺たち失敗作連は、同じくおっさんが道楽で
経営する観光コロニーの(地下)である、こ
の下水道エリアに流されてくる。
 そこで住人となるか、住人の血肉になるか
は本人の持分次第として、おっさんとの縁は
とりあえず切れる。おっさんのほうじゃ失敗
作に用はないらしいし、こちらのほうでもわ
ざわざ自分のインケツな産まれの元なんぞに
関わりなおす趣味はない。
 (まぁ、中にはこずかいをせびりに行く、
もの好きもいるみたいだがな。)
 俺の場合は食うには硬すぎるって点が幸い
して住人の側に廻れたわけだが、それでも、
しがない探偵屋の看板を上げるのが精一杯。
 くどいようだが、俺ごときはこの界隈じゃ
笑えない隠し芸の持ち主にすぎないのだ。
 
         *

 「プロフィール・・・ですか?」
 ようやっと目を覚ました客は俺の力作を
そう評価した。
 「それ以上が知りたきゃ、情報屋のボーの
とこにでも行くといい。3人に2人は客とし
て迎えてくれる」
 あとの1人がどうなるかについての質問は
なかった。この客には学習能力があるらしい。
・・・思ったよりは上客だったな。
 「さて、納得がいったのなら話を始めてく
れ。ミスター・・・?」
 「レーテマンです。アルフレッド・レーテ
マン」
 「結構。探偵事務所の客としちゃ、上出来
の名前だ。ミスター・レーテマン」
 俺は手を軽く翻して、レーテマンに話の続
きを促す。
 「え、ここに伺ったのは・・・ミスター・クロ
コダイル」
 「どうぞ、B・Jと」
 「あ、ああ、ミスターB・J。ここに伺っ
たのは、ですね。貴方がこのアイヤー・オブ・
ザ・ドラゴンでは捜せないものが無いという
噂を聞いたからなんですが」
 ちなみにアイヤーなんとかいうふざけた
名詞がこのコロニーの正式名称である。性質
の悪い冗談だが、それに続く俺の噂とやらの
ほうが数倍性質が悪い。
 「その噂てぇのは、どこの嘘吐きから?」
 「え? えっと、三龍街のテディベア・
ファームというぬいぐるみ屋のご主人からで
すが?」
 「・・・アレとは2度と関わらないことをお勧
めしよう。おそらくはボーの店に3度行くより
あんたを不幸にする」 
 アレのことは口にしたくもないので、詳細は
省くが、変態のおっさんの娘はやはり変態だと
だけ言っておこう。いくら数少ない(成功作)
とは言っても根はマゾヒストのショタコンなの
だ。重ねて言う。アレは変態・・・
 「あの?」
 少しばかり心の虫刺されを掻き毟るのに夢中
になっていた俺をレーテマンが引き戻してくれ
る。ありがたいことだ。報酬は話によっては割
引いてやろう。
 「いや、失敬。で、依頼の件は捜し物だと
思っていいのか?」
 「・・・いえ、それが、その」
 レーテマンは何やら口篭もる。どうやらアレ
が垂れ流した噂とやらは一つだけじゃなかった
らしい。どうせ聞いているんだろう。俺が訳の
判らない事態専門の探偵だとかなんとか。
 「訳の判らない話だと思われるかも知れない
んですが」
 ほらな。
 「捜してもらいたいのは、その、音なんです」
 「音?」
 「はい。わたしの頭の中で鳴っている音。鳴り
続けているこの音を捜してほしいんです」
 俺はゴロワーズを吸い込み、天井を眺めながら
煙とともにレーテマンに最も適切だと思われる
返答を吐き出す。
 「医者へ行け。いろんな意味で」