生いたち

 江戸のよーな時代、東海道に由比という宿場街があり、その宿場の外れに板無しの寺と呼ばれる古寺がありました。この寺には呼び名のとうり看板が無く、地元の者ですらその名前を知りませんでした。

 その寺は実の名を寛永寺。将軍家菩提寺と同じ名を持つその寺は寺と同じく将軍家の名を失わざるを得なかった者たちの菩提を弔う(というよりは霊的に封印するための)施設だったのです。

 将軍がツナヨシに変わる少し前、この寺の門前に一人の赤ん坊が捨てられていました。当事の住持、カクネンは外界との付き合いを一切絶ち、山門を生きてくぐる者はいないと近在では噂されていましたので、宿場の者は、泣き続けている赤ん坊をカクネンが引き取ることはまずない、どうせ流れものの常磐津歌いあたりがもてあまして、寺ならば無慈悲に見捨てはしまいと捨てていったのだろうが、さても惨いことよと囁きつつも、それでは誰が赤ん坊を引き取るか、という話にもなりません。誰もカクネンとは関わりたくなかったのです。

 さて、当のカクネンはというと、赤ん坊のことなどは気にもとめていませんでした。彼が赤ん坊に少しでも気を止めたのは山門にその存在を確認したその一瞬だけでした。

「生きるものは流れて行き、生きぬものは土と帰る。お主がそうしてそこにおるのもそれが決まるまでの一時のことよ」

 その言葉がカクネンの赤ん坊に対するたった一つの手向けでした。


 実際、この山門で運命を生きぬものと決めたものは一人や二人ではありませんでした。

 そして3日、赤ん坊の声も聞こえなくなった夜、カクネンは何者かの気配に読経をやめ振り向きます。そこには・・・・

 カクネンは驚きもしなかったようです。生きるものがただそのように流れただけ、そう思っただけのようです。

 赤ん坊はそのまま野良犬のように板無しの寺の本堂に住み着き、故意にか、ただのクセなのか、カクネンが食べこぼす粥をすすり、夜はカクネンの布団にもぐり込んで眠り、糞尿は適当にたれながして(これだけはカクネンが後始末をしました。臭いからです)生き続けました。そして5年、お互いの存在など無いかのような同居を続けていた二人のあいだに始めの会話が交わされました。

「わし、なぜ動かぬものを拝む」

「動かぬからよ。動くものと関わらば縁が生ずる。縁は海の如きもので日頃は恵みあるものなれど、時化れば人の命など一息に飲む」

「では、わしはなぜ拝む」

「人は縁なくしては人として生きられぬ。人は空間を流れるのではなく、縁の中を流れるものだから。動かぬ仏を拝むは借りの縁を結ばんとする行ないにすぎぬが、人を捨てつつも人としての生の中におらねばならぬ坊主にとっては借りの縁がこそ住み家よ」

「では、お前はなにを拝めばよい」

「人として生きるなら人を拝め。僧となるなら神仏を拝め。神となるなら何も拝むな」

「・・・・あいわかった」

「・・・それはそれとして、お前、わしとお前って言葉、間違っとるぞ」

「そうか、わしはわしというもので、お前はお前というものだと思っていた」

「・・・・・・・」

 少年が言葉を覚えたのはカクネンの口から出る、滅多には自分に向けられない呟きで、そこに出て来る人を示す言葉はわしとお前だけだったのです。

 この日、少年は自分の同居者がカクネンというものだと始めて知り、自分はミンブというものになりました。


その時名前を決めた方法。カクネンやる気はなかったらしい


 それからも奇妙な問答は時おり行われましが、どちらも風や木と語らうように、お互いの人としての存在を意識してはいませんでした。

「神とはなにか」

「人でも僧でもないが、それらの縁を握るものよ」

 ミンブは決して仏を拝もうとはしませんでした。そしてカクネンとも人として関わろうとはしませんでした。ミンブにとって僧であるカクネンも、たまにみかける宿場に住まう人どもも快い存在ではなかったのです。だからミンブは決めていました。そのどちらにも成るまいと。

 結局、ミンブは寺にきてから8年の間、カクネン以外の人と関わろうとはしませんでした。カクネンがこの世界で異常な存在であり、この存在を己の規範としていては何もかもが狂うだろうとこの聡明な少年は気づいていたのです。が、宿場に住まうものと関わる気にもなりませんでした。(紙芝居は見にいってたようですが)

 カクネンは不快だが軽蔑には値しなかったのですが、宿場のものはそうではなかったのです。ミンブは寺に有り余る書物によってのみ、外界と関わろうと試みていましたが、3年ほどでそれを断念しました。書物の世界は広いがその姿は決して現実の映し身ではない。得られるものはどこかがゆがんでいる。

 ミンブがそれに確信を持ったのは寺を訪れた、とある学者と出会った時でした。


ゲンパク。まだ人間ですね。

« アイテム | Who'sWho トップ | 生いたち2 »