つまり、セキシュウサイは時間調節をしていたんです。

 六歳のアヤメにムリはさせられないんで交通機関は使うけれど、
島原をジュウベイに見せておくことは今後のため必要なので
途中で追いつくわけにもいかない、というので。

 実は京都で一度追いついているのですがアヤメはそれに気づいていません。
ただ、ムサシ相手に勝ち目のない立ち合いをしていたジュウベイが
割って入ったクラマ天狗(と名乗るおもちゃみたいな黒づくめ)
に助けられるというエピソードはありますが。

 そして島原。アヤメは戦火の中で呆然と立ちつくすジュウベイを見つけ、駆け寄ります。兄が今、何を思い、考えているのかはアヤメにもよくわかりました。人は時として自らの手で地獄を造るものなのだ。そしてそれをどうにかする力は今の自分にはないのだと。

 もっかい修行やり直してみる? というセキシュウサイの呼びかけにジュウベイはうなづき、兄妹は江戸へと帰ります。この世の地獄、島原の戦場をその目に焼き付けて。

 それより数年、ジュウベイは公儀隠密となり、アヤメも十歳の日に神陰流で己が極めるべき剣の型を一刀の型と定めます。水神の加護を持つアヤメなら銘刀波一文字を使いこなせるだろうとセキシュウサイがアドバイスしたからなのですが、アヤメは思うようには水の妖力を扱うことができませんでした。肝心なところで水を怖れているというのです。

 アヤメには思い当たることがありません。人一倍泳げるし、水仕事だって大人以上にこなせます。実際、ジュウベイの項で触れたように貧乏暮らしをしていた兄妹は、アヤメのやりくりでなんとかやっていたようなものです。そのやりくりの中には長屋の人々の洗濯を請け負って日銭をもらうなんてのもありました。


一心不乱の洗濯娘アヤメ。(目が死んでるモード)
人間何かを忘れたい時には体力だけは必要な単純作業に打ち込むのがいいんだそうで。
アヤメは時として洗う必要もないものを洗い出したりしていました。

 やがて将軍がヨシムネにかわり、ジュウベイがやっと公儀隠密としての実力を認められたとき、アヤメは自分が怖れていた水の正体にやっと気づきます−−雨。

 雨の中を任務で飛び出してゆくジュウベイの姿に父母の姿が重なり、耐え難い恐怖となって彼女にのしかかってきたのです。愛する人はいつも雨に連れて行かれる。アヤメの心にその傷はあまりに深く刻まれ、水の妖力を自在に使うことを妨げていたのです。

 実際、このころのアヤメはジュウベイを安心させるために自分は家にいて家を守る決意をしている、と明確な態度にあらわすことに一生懸命でした。しかし心中はどうでしょう。ジュウベイの安否を気遣い、ただ一人帰りを待つ日々。ジュウベイを助ける忍者が来ると聞いてアヤメはどれほど喜んだでしょう。ですが、それも心配すべき人間を一人増やし、アヤメの心理的負担を増大させただけでした。

 そしてみんなは言います。アヤメは明るく正しく元気でみんなの帰りを優しく迎えてくれる、と。

 みんなのために、そうあろうとするアヤメ。そうありたいと願いアヤメ。そうあることがイヤでもないアヤメ。そしてそれがイヤでたまらないアヤメ。

 なりたい自分があり、そうなれない自分があり、望まれる自分があり、それに甘んじたくない自分がいる。

 結局、アヤメ自身を含めて、皆がそのアヤメの苦悩に気づくのはハンゾー本編の最終シリーズまで持ち越すことになるのでした。



現在

 忍の山から戻ったアヤメは少しずつ波一文字の力を引き出せるようになります。自他共に自分の中にいるアヤメが認められたことで少しふっきれたのかもしれません。

 忍の山から直接、北へ行ったジュウベイ、西へ行ったハンゾーの留守を守って戦うタイゲンたちにとっては明るく正しく元気で優しいアヤメちゃんのままですが、時には彼らの先頭に立って波一文字をふるうこともあります。ただ、戦闘中に妙にハイになってノリが良くなる魔装具の後遺症がヨシムネなどにはちょっと心配みたいですが。


なんだか黒いものに説教するアヤメと、それを覗いておそれるサツキ。
タナトスだろーがエスだろーが、怒鳴りつけることが可能な相手には無敵のアヤメさん。
魔装具と合体したせいで実体化した自分の中の黒いものを完全に手なづけたようです。

「ま、なんとかするんじゃない? あたしじゃなくても他の誰かが。あははは」(アヤメさん談)

 ……たしかにちょっと心配ですね。

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