蝦夷もののふの戦歌 第五章

 第五章「草薙の者」

 仙台城下を照らす、満月には3日ほど齢を
欠く月の中に黒い船影が浮かんでいた。
 「ショウセツ先輩・・・・」
 ジュウベイは遠からず現れるはずであった
その者の名を喉に含んだ。
 かつて江戸を襲った3悪人に数えられる闇
元帥ショウセツ。
 蝦夷の北西海上に没したとされているホウ
ライ文明の力を手にし、江戸に壊滅の危機を
もたらしたこともある革命家である。
 そして今、仙台の空に現れた空飛ぶ黒船こ
そ、彼の力の象徴であるホウライの遺物キク
スイであった。

 「面白やな」
 未だジュウベイからは遠目の人影にすぎな
いハラダ邸の塀の上の老人のつぶやきが確か
に聞こえた。
 ジュウベイは一瞬の混乱の後、足を速める。
何やら危険極まりない状態ではあろうが、遠
目から状況を窺っている場合ではない。合点
がいかぬことなればこそ、飛び込んでみねば
ならない。

 ジュウベイがハラダ邸の門に迫ると、そこ
には松明をもったまま、なにやらオタオタと
している牢人が2人いる。老人の指示で火を
放ったものの、次になにをしていいかわから
ない。老人なり、旗振り役のヒジカタなりの
指図を待っていたのだが、先に駆けつけたの
は敵であるジュウベイであった。
 「ひぃぃ」
 声なのか、呼吸なのか微妙な音をもらしな
がら、牢人たちは後じさる。
 「立ち去れ。お主らがいて得な場所ではな
い」
 ジュウベイが静かに言う。凪いだ水面のよ
うだが、そのとてつもない水深に何を潜ませ
ているのかがわからないといった声だ。
 牢人たちは何かに押されるように数歩下が
ったあと、ふりむきざまに走りだし、目の前
の壁にぶつかったあと、ようやく方向を間違
えていることに思い至って、一応道なりに走
りだした。
 気の毒に、おそらく人生で最初の修羅場だ
ったんだろう。ここで退散させてやれてよか
った。

 ジュウベイはかるく溜息をつき、そして塀
の上の老人に目を遣る。

 「面白やな。野火に草薙のものか。消ゆる
か燃ゆるか・・・はてさて匙を加えてみたも
のの、かきまわしたものやらどうやら」
 隻眼の老人がジュウベイを見下ろす。
 「何者か。ただ暴徒に組するものではある
まい」
 「そうさなぁ、ただ名乗るも面白うない」
 老人は無造作に虚空に踏み出し、無造作に
ジュウベイの前に舞い降りる。
 「これで語るか」
 老人は腰の刀を抜き、瞬時の溜めもない動
作でジュウベイに突き出す。
 ジュウベイは後方に倒れるように半歩下が
り、抜かずに鞘ごと持ち上げた刀の鍔で老人
の切っ先を上へとはねあげ、次の刹那、刀を
抜いて老人の鼻先を薙ぐ。
 「ふぅっ」
 老人は歓喜を含んだかのような呼気ととも
に先ほどのジュウベイのように後方に引き、
刀を正眼にかまえる。
 「切らなんだか」
 「何者かと問うた相手を殺してはこちらの
負けだろう。ほしいものは手にはいらなくな
る」
 「くっくっくっ・・・これはよほど大きな
野火でなくば燃えあがれまいよ・・・匙はそ
ちらにまわすか」
 「・・・再度問う。御老人、そは何者」
 「独眼竜マサムネ」
 答えは別のところからあった。ハラダ邸の
門が開き、ハラダ・カイとネコ御前が姿を現
す。

 「マサムネ・・・あのマサムネ公か」
 「いかにも。戦火の匂いに魅かれて瑞鳳殿
よりお出ましになられたようだ」
 数十年前にこの世を去った伝説の戦人がそ
こにいる。その頓狂な光景に疑いをはさむ余
地がないほどに、マサムネは己が何者である
かを現世に刻みつける力を放っている。
 ジュウベイは眼前の人物がマサムネである
ことに一片の疑念も抱かなかった。

 ハラダの後ろから家侍が数人顔を覗かせて
いる。
 「なにをしている。命じたとうり速う火を
消さんか」
 「し、しかし・・・ここは城に援軍を求め
に誰ぞ走るべきなのでは」
 「いらんよ。援軍ならここにもう来ておら
れる。これ以上は誰を呼んでも敵だ」
 ハラダが有無を言わせぬ視線で顎をしゃく
る。家侍たちは一瞬のためらいののち、燃え
る柴を濡れた布や箒でたたき始めた。

 「そうか、これ以上は敵か・・・おまえ、
主君の腹を満たそうという忠義心はないのか」
 「ありませんなぁ。おとなしくお眠りにな
っておられる主君ならば可愛くもありましょ
うが、気分で遊びに出られるようではとても」
 ハラダは困った隠居でも見るような穏やか
で親しみのこもった口調で言う。
 だが、刀の鯉口をいつでも切れるよう左手
を浮かせているところにただならぬ緊張があ
った。
 「人の鼻先で旨そうな匂いをさせておいて
よく言う」
 「それにつきましては如何様にもお叱りを
うけますゆえ、墓所にお戻りくださりませぬ
か?」
 「おいおい、ほんの数刻でこれほどまでの
面白い面々に出くわすというに、あんなつま
らん寝床に戻れというのは酷ではないか。も
う少し遊ばせろ」
 「・・・どうあっても?」
 「なんだったら、わしの留守居にそなたが
あの世へいくか」
 マサムネの切っ先がハラダへと向けられる。
 ハラダが刀の柄に手をかけ、ジュウベイが
剣を構えなおす。
 まともに行って勝てる相手ではない。
 人の姿をとってはいるが、もはや人の域に
あるものとも思えない。そこにいるのは最早
神話となった戦国の住人、すなわち神。
 荒ぶる神を治めるには、その欲するものを
食わせるしかない。戦がほしいならここで自
分が相手になってやろう。そして神が満腹を
覚えるまで生き延びるしかない。
 ジュウベイはそう決意した・・・が・・・
 
 「御館さまぁ。ネコですよぉ。むかえに来
てくれたのですねぇ」
 「おお、ネコか、こっちこいこっちこい」
 ネコ御前がマサムネの懐にとびこむ。
 「おお、しばらく見ない間に大きうなりお
って」
 「ネコはみっともなく歳をとったりしませ
んよぅ」
 「いや、背じゃなくて、オパーイがな」
 「やん、もお! 御館様の狒々爺ー」
 「わははははは」

 「・・・・」
 「・・・いや、ジュウベイ殿・・・英雄色
を好むと申してな・・・御館様も大層なすけ
べぇで・・・」
 「いりませんよ、そんな解説」

 高まるだけ高めた緊張を一気に崩されるこ
とには慣れていたつもりだが、やっぱり戦国
の伝説は規模がちがう。
 ジュウベイは、おそらく同意権であろう連
中の複雑な息遣いを感じて後ろに視線を向け
る。
 ようやっと笑気瓦斯から立ち直り、追いつ
いて来たヒジカタたちが所在なげに立ってい
た。
 「・・・オレはよぉ・・・戦争しに来たん
だぞ? なんで爺がネコミミの乳もみまくっ
てるお笑い仇流人美出嗚の撮影現場なんだよ」
 「そんな間違っても売れそうもないもん誰
も撮影せんよ」
 ヒジカタのもっていきようのないボヤキに
ジュウベイも答えるでもなく、ただ現状への
混面答としてつぶやく。
 「なんなんだ? あのじいさん」
 「・・・独眼竜マサムネ・・・」
 「!?」
 「・・・だそうだ」
 ヒジカタの顔には嘘だぁという文字が浮か
んでいた。後ろにひかえるスケクロウ、ゴン
ノスケの二人にしても、それが事実というよ
りは堅物の隠密が千年に一度口にする面白く
もない冗談である確率のほうがわずかに高い
といった面相をしている。
 それに答えをだしたのはジュウベイではな
く、とりあえずネコミミを一度いかせた爺さ
んだった。
 「わしは戦場に住まうものよ。おのが住み
家なれば、飯も食おうし屁も垂れよう。女も
抱けんでなんとする」
 マサムネは喉の奥で煮え立つように笑った。
 「・・・そうか」
 ヒジカタは飲み込むように応えた。どうや
らこの若者には一抹の感動すらあったようで
ある。
 古豪の二人はというと、それが隠密の冗談
ではないことを認めたのであろう。瞬時に異
様な緊張を高めている。
 「・・・飯は食えるが、女は抱けんなぁ」
 「人と竜の違いか・・・トシさんよ、あそ
こまで行ってみたいかい?」
 「・・・抱けるさ・・・戦場でいい女を抱
き、勝つ。それ以上の生き方があるかよ!」
 ヒジカタは今、薫陶をくれた存在をにらみ
つける。これが目指すもの、そして越えるも
のだ。
 ・・・見かけは明徒喫茶でふざけ過ぎた爺
さんだとしても・・・

 「さて、ハラダよ、今宵の戦、なんと見る」
 マサムネは失神しているネコ御前を片手に
抱き、ハラダ・カイを見る。
 「・・・まずは御館様の勝利でございまし
ょう。煙は昇ってしまいました」
 「草薙の者よ、この野火、戦火となる前に
消してみせるか」
 次にジュベイに問う
 「己が勤めなれば」
 「そこの者たちを斬るか」
 「薙ぐのは草。人にありませぬ」
 「・・・・くくく・・・・草薙はいつの世
も阿呆よな、で、なくば勤まらぬものでもあ
ろうが・・・よいよい、この火そなたが消す
こと適わねば、わしが日の本を覆う業火と変
え、喰らいつくそうぞ。こころして励めよ」
 老人の姿が闇に薄らいでゆく。ネコ御前が
地に崩れ落ちる。
 それに声をかけようと手をのばしかけたの
はヒジカタ一人だった。

 「・・・面白れぇ・・・」
 ヒジカタは身震いを断ち切るようにジュウ
ベイに向く。
 「さぁ! はじめようぜ!! さっきの続
きをよ!」
 「・・・お前たちは斬らんと言ったろう。
初戦はそちらの勝ちだ。引くがいい」
 「なにぃ! わけのわからん・・・」
 ヒジカタは一瞬言葉を切り、そして笑った
 「なるほどな、斬らねぇならたしかにこっ
ちの勝ちだな・・・スケクロウ、ゴンノスケ
いくぜ」
 「・・・トシさん・・・いいのかい? 立
会いの上じゃやられたまんまだぜ?」
 「戦てのはな、てめえの言い分通したほう
の勝ちなんだよ。戦の火は付いたんだ。次は
こいつを燃え上がらせるんだよ」
 スケクロウとゴンノスケは視線を合わせ、
ニヤリと笑う。彼らの将は急速に成長を始め
ている。人の殻を破り、竜となれるか、いや
ならせてみせよう。二人は走り出したヒジカ
タの後を追った。

 「で、さぁ、どっちがどうやって勝ったの
負けたの?」
 走り去るヒジカタたちを見送るジュウベイ
にのほほんと声をかけた者がいる。
 シュウサクであった。
 「・・・お前は、本当、自分が強いがどう
か以外に知恵を使わん男だなぁ」
 「ああ、トモダチっていいねぇ、知恵が無
い、じゃなく使わないで勘弁してくれるんだ。
ま、実際無い袖は振れないだけだけどね」
 ジュウベイは軽く溜息をつく。
 「いいか、ヒジカタ・・・というよりマサ
ムネ公の思惑は伊達にくすぶっている火種を
表にひきだして戦火へ高めることだ。家老ハ
ラダ様の屋敷に火が放たれたという事実だけ
でそれは十分に始められる。火を起こすまい
としているこっちは完全に後手を踏むことに
なったんだよ」
 「・・・後手ねぇ・・・つまり向こうの勝
ちは認めるけど、まだ負けちゃいないってこ
とか」
 「ハラダ様が城への救援を止めたことで火
は最小に食い止められたからな・・・ただ」
 あの人が来た・・・おそらくは伊達の火を
利用するために。
 「ハラダ様、我ら火消し側としても今宵の
うちに戦評定が必要と存知ますが」
 「・・・ん? わし、いつの間にそちら側
になったんだ?」
 ハラダは満足気な顔で眠っているネコ御前
を抱き上げながら言う。
 「・・・最初からでしょう。われらに腹の
探りあいをしている余裕はないと思いますが」
 「ないねぇ・・・では、そちらも話してく
れるのだね? 老中ノブツナの思惑を」
 「わたしにわかるところまでですが」
 「ああ、いい、いい、あのあたりの腹の内
が我ら戦人に読み切れるものではないから」
 ジュウベイは屋敷へとまねくハラダに続い
た。

         *

 そのころ、放蕩領主として知られる伊達藩
主ツナムラは一人の客を迎えていた。
 半ば幽閉状態の己の部屋の暗がりに人影を
認めたのである。
 「由比卍党党主、ショウ・・・・」
 客が主への挨拶を済ませるまでには気を失
った主が目をさまし、さらに落ち着かせるま
での半刻を要した。

 「書簡は何度かお送りしたはずだが」
 「あ、ああ、あれもそういえばいつの間に
か置かれておったな・・・し、忍か? 」
 「そのようなものだ。あらためて申しあげ
る。私は由比卍党党首、闇元帥ショウセツ。
このつまらぬ場所から天へ駆け上がる道を約
束しよう」
 「・・・・天?・・・・い、いや、それよ
り、このつまらぬ場所から、と言ったな? 
それはわしをここから連れ出すということか」
 ツナムラは目を輝かせる。まだ歳若い痩せ
た小男だが、眼光にはなにやらギラリとした
不穏なものがまじっている。
 「いかにも。そしてお望みならば天下を掴
む手助けをいたそう」
 「・・・・おおおお・・・・」
 ツナムラの顔面にうっすらと脂の幕が浮か
ぶ。それは独眼竜、いやヒジカタに比べても
はるかに非力ではあったが、たしかに戦を求
める者の面相であった。

         *
 
 「先ほどの連中、おそらくはムネシゲ公の
集めた者どもだろうよ。ムネシゲ公の思惑ど
うりに動いたかどうかは別の話だが」
 「うん」
 「・・・・なんでお前が当たり前の顔でこ
こにいるんだ? シュウサク」
 ハラダ邸の一室、ジュウベイとハラダ・カ
イが向かい合うその横にシュウサクがチンと
座っている。
 「いやだなぁ、ボクがなんでなんて考える
わけないじゃない。たまたまだよー」
 「・・・すみません、本当にたまたま居る
だけのやつなんです」
 「最強なれど使い道なしとイットウサイ殿
からお聞きしたことがありましたが・・・・
なるほど」
 「で? ヒジカタのところで何か見聞きし
たのか?」
 「うーん・・・覚えてないなぁ」
 「・・・こういうやつです。蟋蟀か何かだ
と思ってご安心ください」
 「さても・・・野にいる人材とは面白いな
ぁ」
 ハラダは茶をついでシュウサクにも勧める。
菓子はさっきから勝手にジュウベイの前に置
かれた菓子鉢からパクついているので問題な
いだろう。
 さて、とジュウベイはノブツナから渡され
た書簡を取り出す。
 「手の内はこちらから開けるのが筋でしょ
う。老中ノブツナ様からの書簡にございます」
 「ふむ・・・」
 受け取ったハラダはそれを二人の目の前の
床に広げてみせる。
 どうせ内容は見ていないだろうから、一緒
に見ろということらしい。

 書簡を要約すると、こういうことであった。 

 筆頭家老安芸ムネシゲ殿より、放蕩の若い
君主ツナムラに国を治める力はなく、ツナム
ラが一子ヨシムラに家督を譲るよう説得を試
みてはいるが、君主は難色を示し、ハラダ・
カイ以下の年寄り衆も各々頼みとする旗頭を
上げて、国のまとまらぬことおびただしい。
 この上は幕府仲裁に頼らざるをえないと考
え老中ノブツナ殿へ一筆さしあげる。
 との書簡をいただいたが、幕府としても大
藩伊達の騒動は捨て置くこともできず、さし
あたり、ハラダ殿よりの奏上もいただいた上
検討したく思い、とりいそぎ御連絡申し上げ
た。伊達は神君イエヤス公と藩祖マサムネ公
との約定により幕府鎮護を担う我が国の柱石
でもあり、ハラダ殿はとりわけ役務に忠実な
方だと使いのものも判断した模様。この上は
英明なるご判断をお願いしたく、重ねてお願
い申し上げるものである。

 「・・・これじゃ騒動のもう一方の旗頭は
私ということじゃないか」
 ハラダは苦笑を浮かべながら茶を飲む。
 さほどに意外でもない文面にジュウベイは
軽い戸惑いを覚える。ノブツナが因果を含め
て自分に渡した文にしてはまともすぎるじゃ
ないか・・・いや、ノブツナという男を考え
れば、これはまともでは無いのか。
 熟読してみる必要がある。
 「そんなものを幕府に送りつけながら一方
で牢人を集めて戦力をたくわえる」
 「動かす気はなかったみたいだけどね」
 ジュウベイのつぶやきにシュウサクが答え
る。
 「つまり、安芸ムネシゲは伊達に騒動があ
ると幕府に対して演じたいのか」
 「でしょうな」
 「目的は」
 「伊達の実権をより強固に、ですかなぁ。
 安芸殿は伊達姓を名乗ることを許されては
おりますがマサムネ公の筋ではございません。
現君ツナムラ様の筋が絶えても伊達藩主とな
る芽はないでしょう。
 幼君を押したて我々対立勢力を一掃し、実
権を完全に握ろうというのが精一杯なのでは」
 「それならば幕府に仲裁を頼むというのが
解せない。老中ノブツナ様は事あれば大藩を
分割して力を削ぐことをお考えの方。伊達切
り分けの口実を与えるようなものでしょう・
・・・切り分けてほしいのか」
 ジュウベイのつぶやきにハラダ・カイは頷
く。
 「大方はそちらが目的でしょうな。あわよ
くば大藩のまま己が手に入れたいというとこ
ろなのでしょうが、私らも結構煩いですから
なぁ。上首尾として、幼君を押したて権力を
握り、騒動の原因たる我々年寄り衆を幕府に
よって粛清、伊達を掌中にした後なれば幼君
より禅譲を受けるよう仕向けるも容易といっ
たところなのでしょうが、さすがにそこまで
は望み薄なので、次善の首尾として、分割さ
れた一方の藩主に納まれば良しといったとこ
ろなのでしょう」
 「つまり、ハラダさんとまともにやりあっ
ても勝ち目は薄いと見たんだね」
 シュウサクにかかれば大藩の家老だろうが
さん呼ばわりである。いや、さん付けはこい
つにしては敬っているほうだ。江戸の上様で
も上ちゃんよばわりなのだから。
 「やりあう気などないのですが」
 「・・・では、何故、現状でも伊達藩最高
権力の座に座る安芸ムネシゲ公がわざわざ幕
府の介入を招いてまで、ハラダ様一派の排斥
を目論むのです? 少々のことならば折り合
いをつけつつ安住してもよさそうなものです
が」
 「ああ、ジュウベイ殿にはまだわからぬで
しょうなぁ・・・年寄りになるとね、実より
名がほしくなる時が来るのですよ。ましてや
安芸殿も伊達の筋ではないとはいえ戦人の血
を引く方、大藩の家老より小藩であっても藩
主として死にたいというお気持ちがあって不
思議ではございません」
 「・・・」
 安芸ムネシゲ・・・どうにもただの俗物に
思える。知恵伊豆の掌で簡単に転がせる存在
だろう。シュウサクが言うようにハラダ・カ
イと並び立つ度量など無さそうだ。
 ならば・・・何故ノブツナはその扱い易い
俗物を転がして伊達介入の仕掛けを作らず、
わざわざ組し難いハラダ・カイに書簡を送っ
た? しかも自分に、どのような書簡であれ、
この男は判断を過つまい、と見定めさせてか
ら。

 「ハラダ様は伊達をいかがしたいとお考え
なのですか」
 「・・・ジュウベイ殿・・・それはひいて
はこの国をというご質問ですか」
 「・・・聞かずもがな、でしたね」
 主君マサムネの放った火を大火とすまいと
立ち向かった男だ。ゆえにジュウベイはノブ
ツナの書簡を渡す決意をした。この上は武士
としては信あるのみ。伊達の問題については
ハラダに力を貸す。ノブツナの策が姿を現し
た際につけねばならぬ責任も含めてだ。

 「まずは、明日行われるであろう、今宵の
焼き討ちについての評定だな。ムネシゲ公が
どう出るか・・・そのような者は知らぬ。大
方どこぞの食い詰め牢人であろう、とか言っ
て内々に処分するてのがいつものあの人だな
ぁ」
 「トシちゃん、そんなに簡単な子じゃない
けどね」
 「・・・お前がここにいるのは、それに巻
き込まれるのが面倒ってだけだな?」
 ジュウベイはシュウサクに向けた疲れた表
情を正し、ハラダに向きなおる。
 「問題はムネシゲ公ではありません。ハラ
ダ様もごらんになりましたでしょう」
 「・・・空飛ぶクロフネのことかな・・・
 たしか、闇元帥ショウセツ」
 「はい。あの者が伊達になんらかの思惑を
持って動いております。私やノブツナ様とは
浅からぬ因縁を持つ者でして、おそらく私が
ここに立ち寄るよう命を受けたのはそのため
かと」
 「ふむ・・・ならばジュウベイ殿、明日の
評定、わしの近習として共に城へ上がってく
れるか?」
 「はい」
 ジュウベイは逡巡なく答えた。

         *
 
 「さぁて、酒が出たぞ」
 ヒジカタが面白そうに言った。
 「酒が出たな」
 スケクロウもそれに応える。
 「いい酒だ。肴もたっぷり。呑むしかない
な」
 ゴンノスケも含み笑いをこめつつ言う。

 ヒジカタたちがムネシゲの屋敷に戻った時
屋敷は大騒動だった。門番の狂犬を見るよう
な目や、何か言おうとしてどもりまくった挙
句屋敷の奥へと引っ込んだ世話役の貧弱な侍
の態度からして、ヒジカタらの上げた戦果は
伝わっているらしい(当たり前だ。それを見
たさに頃合まで少ない金を使い切って祝杯を
上げていたのだから。これでなにも伝わって
ないとしたら伊達は終わっている)

 で、掘っ立て小屋に戻って成り行きを見て
いると、出て来たのは酒であった。
 「しかも大量だ。死ぬほど呑めるぞ!」
 牢人たちが歓声を上げる。が、ヒジカタは
積まれた酒樽に座ったまま動かない。
 スケクロウが懐から出した帳面になにやら
書いたものを牢人たちに見せる。歓声はやま
ない。

 バカ騒ぎのふりをしていろ。酒に一服もら
れてないとの保証はない。

 一服はなくとも、したたか酔ったところを
襲われるかもしれん。

 酔いつぶれた態で事にそなえよ。

 牢人たちの顔にギラリとしたものが浮かぶ
今日の夕刻までさしたる野心の行き場もなく
食い詰めていた者たちが、ここ数刻で確実な
何かを手にした。それは導く者であり、勝利
を感じさせる者、すなわちは仕えるべき将で
あった。
 この歴戦の古豪らしい二人を従えた将星を
持つ若者。彼こそが自分たちにとびきりの行
き場を与えてくれる将なのだと牢人たちの誰
もが確信をしていた。

 しかし、酔いつぶれた振りでいびきまでか
いている牢人たちを訪れたのは刺客ではなか
った。
 「ほう・・・襲撃にそなえているか。結構」
 遠く屋敷のほうから聞こえたその声にヒジ
カタの全身に粟が立つ。
 飛び起きたのはスケクロウ、ゴンノスケも
同じだった。
 「今のは!?」
 「わからん・・・だが、只者ではない」
 いよいよか! と得物を取る牢人たちとと
もに迎撃の態勢をとるヒジカタたちに小屋の
外から声をかけるものがあった。
 「安芸ムネシゲじゃ! 剣をおさめよ。我
が精悍なる勇士たちよ」
 「・・・・」
 一瞬の目配せののち、ゴンノスケ、スケク
ロウが小屋の入り口である筵をはねあげ、ヒ
ジカタが刀の柄に手を置いたまま外に目をや
る。
 そこには豪勢ななりをした恰幅のいい侍が
一人立っている。おそらくは本人が言うよう
に安芸ムネシゲなのだろう。
 「今宵の先陣、見事であった。ハラダも肝
を冷やしたであろう」
 ムネシゲはギラリとしたものを顔にはりつ
けていた。行き場を見つけた牢人たちと同じ
く。だが、ヒジカタはムネシゲを見ていない。
 ムネシゲのはるか後方、母屋から立ち去っ
てゆく一人の男を見ていた。
 西洋風の軍服を着た総髪の侍を。

 第六章「評定」に続く 

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