蝦夷もののふの戦歌 第四章

 第四章「戦火立つ」

 公儀隠密にその人有りと云われ、江戸を三
怪人の襲撃から幾度も救った伝説の剣豪は今
・・・・・

 ・・・・飯事をしていた。

 「はい、旦那様。今日はダイガクさまより
いただきました胡桃味噌がございます。あえ
ものにいたしましたゆえ、お召し上がり下さ
いませ」
 「わん」
 「い、いや、これはかたじけない・・・」
 「いけませぬ。ジュウベイさま。旦那様が
奥向きにかたじけないというのは行儀に反し
ますぞ。」
 「わん」
 「ん・・・そうなのか。ウチでは家のこと
は奥向きに逆らわんのが決まりとなっておっ
てな、つい・・・」
 
 武家の娘における飯事は純粋に遊びではな
い。その家々の作法を身につける修練でもあ
る。ゆえにジュウベイもハラダ家お預かりだ
という二人の姫の飯事の相手なぞをしている
のだが・・・
 「わん」

 もっとも、先程から修練らしきことをして
いるのは猫に似た耳を頭から突き出している
人外めいたネコ姫のほうで、どうみても人間
である姫メゴ姫のほうはというと・・・
 「わん・・・ねー、ネコさまー、もう犬は
あきたのです。他の役がほしいのです」
 「むぅ・・・犬がイヤだとなりますと後は
ネズミかイタチか穀かぶり・・・」
 「もっとイヤでございますー」
 ・・・奥方の役を変わってやるという発想
はネコ殿にはないらしい。
 「ずいぶん夜もふけましたね・・・そろそ
ろお休みになられては・・・」
 ジュウベイがいい加減この状況から開放さ
れたいんだけどなぁ、という意味を薄く載せ
て言うとネコ姫は事もなげに、
 「我らはやこうせいじゃ。おんみつもそう
だと聞きよるぞ? ちがうのかや?」
 「おんみつはともかく、うら若き姫のやこ
うせいは感心しませんよ」
 ジュウベイが目をやるとメゴ姫のほうは必
死に欠伸を噛み殺している。こちらの姫は夜
行性ではないらしい。
 「むぅ・・・せっかくの江戸よりの客じゃ
オトメとしては演汰のさいせんたんの話なぞ
聞きとうても当然じゃろ? なぁ、もちっと
お話してたも」
 ネコ姫がくいさがる。メゴ姫もそれについ
ては同意見らしく、目をこすりながらもうな
づく。
 困った・・・任務か、珍しくそれがない時
は修練かに明け暮れるジュウベイにとって宴
汰のさいせんたんなぞ、江戸の住人ではあっ
ても関わる機会なぞほとんどない。
 妹や相棒たちの股聞きならばすこしは知識
もないわけではないが・・・
 「あー、では寝屋にお入りくだされば、少
しはお話できるでしょう」
 「まことか? では披露問句でお願いしよ
う」
 ジュウベイに「ぴろうとうく」という言葉
の知識はない。無いなりにまともにとりあう
べき言葉ではないことは感じたので流すこと
にした。
 「私は寝屋の外からお話させていただきま
す」
 「ぶー」
 ネコ姫がむくれる。メゴ姫のほうは話が聞
ければなんでもいいらしい。いそいそと寝屋
に移り、甲斐巻きにもぐりこんでいる。
 「さぁ、ジュウベイさま、おはなししてく
りだされ」
 「はぁ、では」
 寝屋の襖を薄く開けた向こうでジュウベイ
が話はじめる。
 「江戸の・・・には芝居小屋が沢山かかり
まして・・・」

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 「ぐー」
 「おお! あっぱれジュウベイさま! 語
りはじめて1分を数えぬうちにメゴ殿が眠っ
てしまわれた。算術教師並みの手管じゃ」
 「・・・どうせ、面白い話などできません
よ」
 「ほほほほ、話はともかく、お前様はとて
も面白い。同胞の良き匂いもまとっておるで
の」
 ネコ姫が丁度顔を出すだけの分、襖を開け
る。
 「わらわ達、異界の血を引くものは気が形
となって残りやすい。かつてそなたとあった
ものの親愛がまとわりついておる」
 かつてあった異界のモノについては心当た
りがあった。正確には相棒の仲間なのだが、
共に戦い、共に笑った者たちだ。
 今も自分と相棒の留守を守ってくれている
だろう。
 「ネコ姫殿はやはり魔界の血を」
 「引いておる。伊達というのはそういう者
を受け入れて来た家じゃ・・・というより、
藩祖マサムネ公にとって使えるモノか使えぬ
モノかという以外の価値基準には用が無かっ
たのじゃな。ゆえに魔界との境薄いこの地を
神君イエヤス公よりたまわった。魔界に近き
地には金脈があるなんてのは世俗への言い訳
にすぎぬ」
 ネコ姫は懐かし気に語る。誰かを思い出し
てでもいるのだろうか。
 「わらわはなぁ、マサムネ公の側室であっ
たのよ」
 ジュウベイの心を見透かしたようにネコ姫
は答える。
 「魔界に通じた金山奉行ナガヤスの推挙で
な。父たる魔王阿宗太呂徒の知行地と伊達の
治めるこの地をつないで魔界貿易の拠点とな
そうと考えておったのじゃな。じゃが、知っ
てのとうり、魔界の力の流入は危険と読み取
ったイエヤスにより、ノブナガ公のこじ開け
た魔界の扉はナガサキの出島を除き全て閉じ
られ、残ったのはわらわや、そなたの友のよ
うな異形をまとった者どもよ」
 なるほど・・・人間にしては魚っぽすぎる
とかネコっぽすぎるとか思わないでもなかっ
たが、そういうことか。と友の顔を思い浮か
べつつ、自分がそのことをほとんど気にして
いなかったことにようやっと思いいたる。
 「じゃが、わらわには変わらず愛してくれ
たマサムネさまがいた。その恩にむくいるた
めにわらわは伊達の歴代の姫たちの守役を務
めておるのじゃ」
 ・・・いじめてるように見えたのは気のせ
いか。
 「伊達の女は戦場の女でのうてはならん。
それを教えられるのは戦国より生きるわらわ
だけじゃからのう・・・殿はほめてくれるか
のう・・・ひさかたぶりの逢瀬が楽しみじゃ」
 「・・・殿・・・ひさかたぶりの逢瀬?」
 いぶかるジュウベイの耳にかすかな音が聞
こえてきた。
 「・・・いらっしゃったかのう」
 うっとりと言うネコ姫に一瞥も向けず、ジ
ュウベイは剣を取ってたちあがった。

         *

 仙台城下のはずれ、家老ハラダ・カイの屋
敷へと至る道を20数人の人影が走っている。
 「火を放つなら燃え立つ場所に放たねばい
かん。だが、それで燃え尽きるようなもので
もいかん。巻き上がり劫火となるものを見極
めねばならん」
 長身痩躯隻眼の老人が息も乱さず言う。
 安芸ムネシゲの屋敷から休まず走りつづけ、
有象無象の従順牢人どもには息のあがってい
るものもいるというのに、老人の口調はまる
で立ち話でもしているかのようだ。
 「ハラダてのはそういう男か? のらりく
らりの丸っこいやつで、こいつが優柔不断な
せいで伊達はまとまらねぇんだと聞いたが」
 ヒジカタは無理をして老人の立ち話口調に
付き合う。実際はそこそこ息が苦しい。
 「ひとりの優柔不断で国を乱すか、大した
優柔不断とは思わぬか?」
 「・・・今の状況がハラダの思惑ってこと
かい」
 「さてな、だがやつという歯止あればこそ
伊達の炎上はまぬがれているのは間違いない
なれば、われらの目的は一つだろう」
 「歯止をはずすことか」
 ヒジカタの声が上ずる。恐怖や緊張からで
はない。合点がいった安心から上がりつつあ
る息がもれただけだ。
 老人が泥を煮るように笑った。
 「良き強情我慢よな・・・ひさかたぶりに
そなたのような旨そうな若武者をみたぞ」
 「気持ちわりぃな。あんたに旨そうとか言
われたかぁねぇぜ」
 「いや、旨そうじゃ旨そうじゃ。戦場の血
と炎をまぶして食ろうてやりたいわ・・・・
・・・ククク・・・若きハラダ・カイとよう
似ておる」
 「・・・戦の血と炎にまみれるか?それは
是非お願いしてぇな・・・」
 「ならば食ろうてみよ。戦人ハラダ・カイ
を」
 ヒジカタの背筋をつたうものがあった。恐
怖であり、怖気であり、老人がまとう異質へ
の嫌悪であり、そしてそれら全てを裏返した
歓喜でもある。長きにわたり憧れた真の戦場
がそこにある。
 ヒジカタはそれを感じていた。

 「あのさぁ、そろそろ来そうだよ」
 高揚の極みにあったヒジカタの頭からぬる
ま湯がかけられる。
 老人同様、この早駆けを一向苦にしていな
いシュウサクののほほんとした物言いだ。
 「・・・何が来るってんだよ」
 「足元の砂利」
 「は?」
 老人がグツグツと笑う。
 ヒジカタが足元に意識を向けると、たしか
に踏み固められた土の道にわずかに砂利が撒
いてある。
 道がぬかるまないために砂利で覆われてい
るところならばみたことがある。
 だが、ここはあくまでもわずかに、だが道
上にまんべんなく撒かれている。そしてその
砂利は道を駆けるヒジカタたちの足音をいく
らか高めている。
 「・・・この砂利をまいたやつが来るって
ことか」
 「うん」
 「・・・・・じいさん、なるほどな、旨そ
うなものってのはあるんだなぁ」
 「くくく・・・喰らうかよ、若獅子」
 「ああ、喰らうさ」
 ヒジカタは足を止め、後続の牢人たちをも
制する。
 そしてにらみつけたハラダ邸に至る道の暗
闇の中からゆっくりと進み出て来るものがい
る。
 「・・・・大物だな・・・・」
 「トシさんには食いきれまいよ」
 ゴンノスケとスケクロウが珍しく余裕の無
い態でヒジカタの前に出ようとする。
 「こいつが強えぇのは知ってる。だがよ、
オレは腹が減ってるんだ。食いきれなくても
食いつきたくてしょうがないんだよ」
 ヒジカタが二人を制する。
 「トシちゃんやられたらボク」
 シュウサクが無表情に言う。
 「だから他の人は先に行ったほうがいいん
じゃないかな。目的はジュウベイじゃないん
だし」
 そう、シュウサクの、ヒジカタの、そして
老人の隻眼が見据えるさきには最強の公儀隠
密、ジュウベイがいた。

 「・・・たしか・・・薬の押し売りだった
な・・・」
 ジュウベイはヒジカタを見据える。
 昔、少年だったころ一度立ち会ったことが
あった。一撃必殺の鋭い、しかしそれゆえに
もろい剣であった。
 後に江戸守備隊の前身である町道場、試衛
館に身を寄せる腕利きの中にその者がいるこ
とも知ったが、ジュウベイには強者と立ち会
うことにさほどの興味も無かったので、それ
はそれとしておいたのだが、こういう再会を
しようとは。
 「ああ、おめぇにはその低度のもんだろう
な・・・オレぁあっさり負けちまったからよ」
 「コンドウさんの副官をしばらく勤めて、
そのあと修行の旅に出たと聞いている。名を
ヒジカタ。天然鬼神流の剣士」
 「くくく・・・うれしいね、さすが隠密。
自分を殺る相手のことくらいは知ってなきゃ
な!」
 鯉口を切ったヒジカタの剣がまっすぐ突き
出される。瞬時にゴンノスケとスケクロウが
2つに分けた隊を率い、ジュウベイの左右の
脇を抜けようと駆け出す。

 強烈無比のヒジカタの突きをジュウベイは
脇差を抜いて受ける。しかるのちに大刀でこ
ちらの胴を薙ぐつもりか。
 そう見てとったヒジカタはさらに突きの勢
いを強める。初撃は受けられていい。そのま
ま勢いを殺さず、相手にぶつかり、跳ね飛ば
されて体勢を崩したところに真に必殺の一撃
を繰り出す。

 が、思惑は一瞬で崩れる。ジュウベイの体
は大きく沈み、脇差がヒジカタの剣を受けた
のは鍔よりも手前。剣の鍔を引っ張られた形
となったヒジカタは体をひねったジュウベイ
の腰にはねあげられ、宙を舞う。
 からめとっていたヒジカタの剣から開放さ
れた脇差とその勢いを借りて抜かれた大刀は
ゴンノスケ、スケクロウに続いて脇を走り抜
けようとした左右の牢人たちの膝頭を峰で叩
く。
 
 後続を巻き込んで倒れる浪人たち。が、そ
の影から躊躇いのない一撃が繰り出される。
シュウサクだ。体の伸びたジュウベイが瞬時
に対応しても間に合わない。受けても斬り返
しても体勢十分なシュウサクの一撃に分があ
る。そしてシュウサクの必殺の一撃に対して
ジュウベイは大小の剣を交差させる。

       カ!

 ジュウベイの剣から強烈な稲妻がシュウサ
クの剣へと走った。周囲のものが突然の閃光
から視力を取り戻した時、ジュウベイは剣戟
のはじまる前とほとんど同じ間合いで、ハラ
ダ邸への道に立ちふさがっていた。

 「カラクリ刀は反則じゃないかなー」
 「すまんなシュウサク。おまえと遊んでい
られる場合じゃないんだ」
 ジュウベイは剣を収めていない。烈火のよ
うな目でジュウベイを睨むヒジカタも、新た
に細身の剣を抜いたスケクロウも、杖を構え
るゴンノスケも、及び腰の牢人たちとは違い
二戦目に備えての臨戦態勢である。
 「・・・さすがタジマの息子よ・・・一連
のさばきで我ら全てを制するとは」
 「柳生四天王のスケクロウ殿に杖鬼ゴンノ
スケか・・・話を難儀にしてくれるな」
 「まぁ、いいじゃないか。こういう面白い
こたぁ、近来稀なんだ。こちらの総がかりで
も勝てるか微妙なケンカだ。楽しくてヨダレ
がでらぁ」
 ゴンノスケが心底楽しそうに言う。たしか
に。これだけの剣客に連携を取られれば一人
であしらうのは容易ではない。だからといっ
て、この類の連中は完全に再起不能にでもし
ないかぎり戦力からは外れてくれない。不殺
の誓いを掲げるジュウベイには誠に難儀な話
だ。
 
 伊達にお家騒動の火種があることはハラダ
の話からもわかっていた。そして、戦の火種
をかぎつけてこういう輩が集まることも推察
はできた。
 殺気をおびてハラダ邸に向かっているとこ
ろをみると、安芸ムネシゲ側にでもついたの
だろう・・・だが・・・
 (豪華なことだ・・・名にしおう剣客3人
に、これからそう育つだろう大器を持つ者が
一人)
 ジュウベイは敵手4人に均等の意識を向け、
心を冷ややかに研ぎ澄ます。
 スケクロウとゴンノスケは如何様にもヒジ
カタを補佐できる位置をとっている。
 (そうか、この男が開花するには戦が必要
なのかもしれんな。平穏では咲けぬ花か。た
しかに咲くところを見たいという気持ちも涌
かぬでもない)
  こいつらは剣に生きるもの。戦いがあって
こそ、その命に意義を見出す。戦のない世に
倦んで火種に集まるのも剣の道を磨く者とし
て解らないではない。

 だが、同じ剣客であってもジュウベイは違
う。彼の剣は戦を封じ平穏をもたらすための
手段にすぎない。
 親友のシュウサクとも、そこは相容れない
一点だ。
 (まぁ、こいつらより剣についちゃ雑念が
多いってことでもあるなぁ。4人相手となる
と・・・剣だけじゃ勝ち目は薄いかなぁ)
 ジュウベイは戦の種火に火薬を投じようと
しているこのものたちに好意を感じている自
分に苦笑した。目指すものは違うが所詮同種
の者だ。なればこそ、自分が相手をせずばな
るまい。ほら、先様もかなり盛り上がってい
る。

 「誰が手を出せと言ったよ! こいつぁ俺
の獲物だ!」
 ヒジカタが吠える。だがまわりの連中も引
かないだろう。ジュウベイとヒジカタの剣の
力量は誰が見ても明らか、そして二人の古豪
はこの青年を失いたくないと思っている。
 そしてシュウサクは何でもいいのだ。隙が
あれば討つ。それだけである。
 スケクロウとゴンノスケはやむを得ず、し
かし事あらば間合いに飛び込める位置をとる。
 ヒジカタは突きのための体勢をとりながら
も動かない。飛び込む機会をうかがっている
のか・・・だとしたら甘い、とシュウサクは
思う。ジュウベイは隙など作らない。足止め
が出来れば十分だからだ。おそらくハラダの
屋敷からは救援を乞う早馬が出ているだろう。

 シュウサクが先に斬りかかるのならば話は
別だが、こちらも体勢十分なジュウベイ相手
に勝てる見込みはない。見込みのないことは
しない。漁夫の利を得るとしたら自分なのだ。

 しばしの膠着ののち、ジュウベイの気がか
すかにゆらいだ。
 「・・・伏兵か・・・」
 「くくく・・・時間かせいでたのはオレの
 ほうなんだよ」
 ヒジカタがハラダ邸から昇りはじめた煙を
見て笑う。
 「トシさん・・・?」
 いつの間にそんな手を・・・スケクロウが
問う前にヒジカタはあたりをぐるりと見回し
 「さっきの一戦からじいさんがいねぇ。あ
のクセ者があれだけの機会を見逃すかよ。兵
も2人ほど足りねぇ。持っていったんだろう
さ」
 「・・・・・・」
 剣士としては今は二流の上低度だが、この
若者には将としての才がある。
 太平の世にあっては害にこそなれ、役には
たたない才をかかえ行き場の見えないこの若
者がスケクロウには愛しくてならなかった。
 この者の行き場を作ってやる。それがジュ
ウベイの読みどうり、スケクロウとゴンノス
ケの思いであった。

 「・・・さて、立場が入れ替わったな。隠
密よ。この陣容の追撃を振り切れるかい」
 ヒジカタが剣を寝かせ、平突きの構えをと
る。
 さて、これは難儀ではすまないな。では覚
悟を決めるか・・・
 ジュウベイは決死の覚悟で習い覚えた奥義
を放つための構えに入る。
 
 「・・・眼帯を?」
 ジュウベイは左目に装備した眼帯を外し、
地面に投げ捨てた。科学奉行所謹呈の隠密用
検知カラクリがつまった逸品ではあるが、左
目の視力をやや奪う。そしてジュウベイは隻
眼ではない。
 「お前ら相手に出し惜しみも出来んだろ」
 「なるほど・・・本気を出してくれるって
わけかい」
 ヒジカタが引きつりながらも心底嬉しそう
にいう。
 「いや、出し惜しみをしないだけだ」
 「!?」
 その刹那、ジュウベイとヒジカタの間に落
ちた眼帯が閃光を放つ。
 「すまんな、一応剣以外にもいろいろ手は
持ってるんだ」
 「・・・わかってるよ! ンなこたぁ」
 ハラダ邸に向かって駆け出そうとするジュ
ウベイに、笑いを含んだヒジカタの声がかか
る。
 「光の手はさっきも見たからな。供えはし
ていたんだ」
 ヒジカタ、そして、スケクロウ、ゴンノス
ケ、シュウサクも己の目を覆っていた手をど
ける。
 「ふふふ、ちっと甘かったな」
 「くくく・・・」
 「ぐははは・・・」
 「あ、しまった。2段重ねだったか。あは
はは」
 シュウサクが心底可笑しげに笑う。あとは
牢人たちの大爆笑。
 「わはははは! ち、ちくしょうはははは
なんだよコレ!」
 「あのね、あははは、笑い瓦斯だと思う」
 「すまんな、いろいろ手はあるんだ」
 人が最も無防備になるのは企みが成った瞬
間だとジュウベイは相棒から教わった。だか
ら敵には企ませて仕掛けさせ、その成功の有
頂天を叩く。戦策は幾重にも用意しておかな
ければならないと。
 (あいつならこの上にもう2、3相手のや
る気を削いでいくんだろうけど、初段のオレ
じゃこんなもんだな)
 ジュウベイは呼吸困難のため、体勢を整え
られないヒジカタたちを尻目にハラダ邸に向
かって駆け出した。

          *

 炎が立ち上っている。燃えているのはまだ
屋敷ではなく、牢人たちが持参した柴や藁束
ではあるが、ハラダ邸の塀の上に立つ老人に
はそれはどうでもよいことだった。
 これは戦の火の始まり。目の前の火は消せ
ても伊達城下に住まう者たちの目に焼きつい
た炎の戦慄は容易に消せはしない。
 「消すか、炎とともに共に舞うか、のうハ
ラダ・カイ」
 炎に照らされた塀の上の隻眼の老人を 庭
に立つハラダ・カイとネコ姫が見上げている。
 「御館さま・・・」
 ネコ姫が悲哀に満ちたつぶやきをもらす。
 「・・・いずれにせよ、現世に生きるもの
の決めること。手出しは御無用にお願い申し
あげます」
 ハラダが重い声で言う。老人はグツグツと
笑った。
 「わしが手を出さずともな、現世の戦人ど
もが火に誘われて集いよるわ」
 老人がいつの間にか中天に上っていた月を
見上げる。そして駆けつけたジュウベイも塀
の上の老人ごしに月を見ていた。
 
 いや、正しくは月の光の中に浮かぶ天駆け
る黒船の影を。

 第五章「草薙ぎの者」に続く

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