蝦夷もののふの戦歌 第二章

 第二章「予兆の白刃」

 住職ゲツシンを相手に一通りの情報を仕入
れたジュウベイは覚範寺を出て市中の空気に
浸ることにした。

 聞いてより見るな、見てより聞くな、が師
であるセキシュウサイの教えである。彼の老
剣士の言い状は7:3でその場の思いつきで
あることが多いのだが、だからといって聞き
流せるジュウベイではない。
 それに、この教えについては、おそらく3
の方であろうと、長年の隠密活動の中で感得
しつつある。
 情報を積み重ねて大局を知るのではない。
 並列させた後、俯瞰するのだ。
 そして場合によってはその全てを捨てる。

 ゲツシンから得るものは今のところ、この
くらいで良い。いずれ尋ねたいことに出くわ
したら、その時あらためて尋ねればよかろう。
 ゲツシンの方も、さすがにその辺は心得て
いるのだろう、程よいところで話を切ってく
れた。

 夕闇が降りきった覚範寺の門前にはすでに
人影はなく、賑わっていた商店も全て暖簾を
仕舞っている。この時間から人が集まるのは
料理屋だの、郭だのが集まる地域だろう。
 先ほど、住職からもらった手書きの多云・
迂往過なる地図の概略は頭にはいっている。
 細かい、どこそこの店の何が旨いなどとい
う但し書きは、どうせこれから向かう先にい
るだろうシュウサクが微細に調べ上げている
に違いない。位置がわかっていれば十分だ。

 覚範寺前から仙台城に至る道は荷車がすれ
違えるほどに広く、道の左右はおそらく植林
されたのであろう萩の茂みに覆われている。
 月は出ていないが、寺で借りた提灯で間に
あうほどには乾いた道の白土は明るい。
 実際、ジュウベイは闇に慣れている。
 提灯を灯すのには別の意味がある。

 すぐにそういう使い方をすることになるな。

 ジュウベイは漂ってくるかすかな匂いに身
構えるでもなく歩みを続けた。

         *

 それは料亭と呼ぶにはいささか小じんまり
とした店構えだった。城下の繁華街と覚範寺
の門前町を繋ぐ萩の道の丁度中ほどにあり、
故に人通りは少なく、故にある種の客に重用
されている。
 今まさに店先に提灯を灯さぬ駕籠を付けよ
うとしているのも、そんな客の一人なのだろ
う。駕籠かきの他に2名の供侍をつけ、人目
をさけるよう粛々と進んでくる。
 だが、それを息を殺して見つめる者たちが
いた。

 数人・・・と呼ぶにはぎりぎりの数だろう、
道を挟んで繁る萩の根方にひそみ、すでに
黒刃の大刀を抜いている。
 月すら昇っていないにしても、一切の光を
はじかない刀身には黒色の塗料が塗られ、
周囲にかすかな異臭を放っている。

 駕籠が店の戸口前に着き、降ろされる。
供侍が周囲をうかがい、駕籠の引き戸に手を
掛けた。
 「大丈夫なようです」
若い男の声に、のほほんとした口調の初老の
男の声が駕籠の中から応える。
 「でもないでしょ」
 若い供侍が慌てて再度周囲を見回した時、
抜き身の大刀を下げた三名の人影が萩の根方
より飛び出してきた。
 「ご家老、藩命によりお命もらいうける」
 黒い覆面のため、三名のうち誰が話したと
もわからない。
 供侍二人が慌てて刀を抜き、駕籠の主は
 「あーあ、暗闇から黒塗りの刀さげて飛び
出したのに、口上なんかあげちゃだーめだよ
ぉ」
 減らず口以外は駕籠から出す気がないらし
い。いや・・・
 「何者だ! 筆頭家老ハラダ・カイ様と知
っての・・・」
 金きり声で喚く供侍の後頭部を、駕籠から
伸びた手ににぎられた扇が叩いた。
 「お前もだよ。せっかくお忍びで出かけた
先で名乗りあげてどーする・・・ったく太平
の武士ってのは芝居くさくていかんよなぁ、
もっとも、真剣の立会いなんて芝居でしか見
たことないんだから当然ちゃあ当然なんだけ
ど・・・」
 引っ込めた扇のかわりに、誰に言うでもな
い説教だか嘆きだかが延々と流れてくる。腹
を立てている様子ではなく、どちらかという
と楽しそうですらある。

 「・・・えーと・・邪魔をするなら容赦は
せんぞ!」
 襲撃者が言う。
 「邪魔しなくったって、暗殺の現場に居合
わせてんだから、容赦しちゃだーめでしょ」
 駕籠からコメントがつく。
 「あー、うー・・・」
 「喋ってないで、やめて逃げるか、斬り合
って目的果たすかどっちかにしなさいよ。ど
っちも」
 ヘボ役者に桟敷からとばすヤジのようなコ
メントである。実際、この駕籠の主はこの状
況をその程度にしか思ってないらしい。
 「むう・・・、い、いくぞ、シロウ、サダ
ミツ! 片倉家伝来!剣陣{風雷光}!」
 「だーかーらー」
 駕籠の主の嘆きとともに3人の襲撃者は供
侍たちに襲い掛かった。
 
 襲撃者のうちの一人が供侍の一人に斬りか
かる。振り回すような大袈裟な太刀筋だ。
 経験の浅い供侍といえど、これならばかわ
せる。荒い太刀筋のため、隙だらけの襲撃者
に反撃をくわえることも難しくはない。

 一方、僚友が襲われている間、もう一人の
供侍は、どう動いていいかもわからず立ちつ
くしていた。僚友の助太刀に入るにしても、
敵の残り二人がどう動くのかがわからない。
 襲撃者の一人を二人ががりで迎え撃ってい
る間に残敵に駕籠の中の守るべき人物を襲わ
れては元も子もない。だからといって、僚友
を敵の襲うにまかせていたら、僚友の壁が破
られたあと、自分も同じ目に合うだけだろう。
 どうすれば・・・と思っていたら、敵はさ
ほどに手強いわけでもないらしい。
 あれほどの大振りであれば隙をついて倒す
ことも困難ではない。ならば、自分は守りに
徹していてもよかろうと、残敵二人に目をや
ると、彼らはすでにそこにはいなかった。

 左右の袈裟掛けに振り回される襲撃者の刀
は時とともにその速度を落とす。体力の限界
を越えたのだろう。そして大きく振り下ろさ
れた刀の切っ先が地を掠った刹那、勝機を
見て取った供侍は渾身の突きを襲撃者の大き
く開いた脇腹へと繰り出した。

   キン

 必殺であったはずの突きがはじかれる。
 大振りの襲撃者の後方にもう一人の襲撃者。
 先陣がふりまわす剣風にまぎれて潜んでい
た第二の太刀が供侍の刀をはじいたのである。
 そして渾身の一撃を弾かれた以上、死地は
瞬時にしてこちらへ移る。
 僚友二人の後方から、跳躍した最後の襲撃
者の斬撃が、今や完全に無防備となった供侍
の額に振り降ろされた。

   カッ

 己の最後を感じ取った供侍、勝利を確信し
た3人の襲撃者、彼等がそのとき目にしたも
のは予見した未来の風景、ではなく、ぼんや
りと、しかし明るく灯る光だった。

 「!?」

 勝負を決めるはずであった刀の切っ先を受
け止めているのは古びた提灯の柄。
 その持ち主は・・・そこにいる全員が目を
向けようとした時、提灯がフッと消えた。
 わずかの間とはいえ、光に晒された目は闇
への順応を失う。視界を闇に奪われた一同は
次に手の甲に激痛と、それに続く痺れを感じ
た。
闇の中に刀が地へ落ちる金属音が響いた。

 「すまんなぁ、これから飯だってのに刃傷
沙汰は見たくないんだ」
 提灯の主の事もなげな声がさらりと流れる。
叱責も恫喝も含まない、おだやかな声だ。
 「何者!」
 襲撃者の一人が誰何する。
 「通りすがりだよ・・・だが、あと少しも
すると、失敗した暗殺者を取り押さえたおせ
っかいなんて汚名を着せられる。 なんとか
してくれんか?」
 提灯の主は皮肉でも諧謔でもなく、真から
そう思っているらしい。 そして彼の言って
いることは襲撃者たちにも良く理解できた。
 とてもじゃないが勝てる相手ではない。
 ゆっくりとあとじさった襲撃者たちは一定
の距離を取ると後ろを向き、全力で走り出し
た。
 「忘れるな! ハラダ・カイ!貴様の企み
はすでにムネシゲ様の知るところである! 
いずれ上意が・・・・」
 最後は聞き取れなかった。かなり息を切ら
せていたようである。

 一方、残された供侍はというと、何が起こ
ったのかもわからず、半ば呆然と立ちつくし
ていた。ようやっと闇に慣れ始めた目には一
人の侍の姿が映っている。
 総髪の髪を後ろで無造作に纏め、隻眼なの
だろうか、左目には変わった形の眼帯を帯び
ている。この男は一体・・・
 「公儀隠密、ジュウベイ殿か?」
 駕籠の中から声がかけられた。
 「さて、聞いたような名ですが、手前黒塗
りの駕籠にお乗りあそばすお方にお声をいた
だくような者ではございません、これにて」
 隻眼の侍の応えに、駕籠の主は低く笑い、
のっそりと駕籠から這い出して来た。
 「これで駕籠にお乗りあそばす方ではなか
ろう? ただの冷や飯家老ハラダ・カイじゃ」

 ハラダ・カイと名乗ったのは初老の、小男
と呼んでもよいくらいの背に、ふくよかな肉
を着込んだ人当たりの柔和そうな侍であった。
 「これはご丁寧に・・・手前は江戸の雑用
係、ジュウベイと申します」
 ジュウベイは軽く会釈した。
 勿論、内心ではハラダ・カイへの観察を欠
かしてはいない。偶然とはいえ、この男に会
うこと、そしてヨシムネ署名の書状を渡すこ
とこそが仙台に立ち寄った目的であり、老中
ノブツナから言い渡された任務であるのだか
ら。
 「雑用なぁ、ではこの仙台へも雑用で? 」
 「まぁ、とりあえずは飯を食おうかと」
 「ほう、飯を食いにお寄りになったと?
それはいい、わしも飯を食うところじゃ、ど
うじゃな、お付き合い願えんか? どうやら
うちの若いもんの命の恩人みたいじゃからの
う」
 ハラダ・カイは低く笑う。自分の恩人、と
いう認識はないらしい。
 おそらく、この男ならあの程度の襲撃者、
なにほどのこともなく退けていたに違いない
とジュウベイは見て取る。
 「・・・冷や飯を、というならご一緒させ
ていただきましょう」
 「おうおう、治にあっては冷や飯を食うこ
とこそ、もののふの本懐よ」
 ハラダ・カイはジュウベイに歩み寄り、背
に手をまわしてポンポンと叩く。人懐こい男
のようだが、つい今しがた3人の襲撃者を打
ちすえた武人に対して、あまりにも無防備す
ぎる。殺気はおろか、警戒の気すら放ってい
ない。
 ・・・だが、とジュウベイは思う。この男
を今ここで打つことが自分に出来るか?
 出来ると思う。だが、同じだけの出来ない
という確信めいたものが自分の中にある。
 とりあえず、簡単に読める男というのでは
なさそうだ。

 まずはただ会え、とノブツナからは言われ
ている。それは会えば人となりを知らずには
いられないほどの人物だという含みがあった
のだろう。
 懐に忍ばせた内容も知らない書状を渡すの
はそれからでよい。渡した後全権をもって交
渉せよ、という命について最も重要なのは、
書状の内容云々ではなく、ハラダ・カイとい
う男なのだと今は思う。
 冷や飯を付き合う価値は十分にありそうだ
った。

         *

 ・・・無論、それは本当に冷ご飯を食うと
意味ではなかった・・・少なくともジュウベ
イにとっては。
 「やはりなー、この麹でしつこいほどに甘
く漬けた沢庵に勝るものはないなー」
 丼というよりは菓子鉢といってもいいほど
の器に山と盛られた冷ご飯をぐいぐい飲み込
みながら、ハラダ・カイはご機嫌に言う。
 「はぁ、手前は甘いものはちょっと・・・
紀州の塩からい梅干のほうが」
 座の主と同様の鉢に盛られた飯を眺めなが
らジュウベイは適当な相槌を打つ。
 「おお、紀州の梅干な、うん、あれも捨て
難い! 古びて塩を吹いたやつがこれまた絶
品、うむあれに勝るものはない」
 先ほど最強の称号をもらった沢庵の立場は
もうない。
 ハラダ・カイは供侍を呼ぶと、梅干を持っ
て来るように言う。先刻、駕籠に篭って見捨
てようとした相手だとは思えぬほどに親しげ
に声をかけている。わからない男だ。
 
 「ハラダ様はいつもこのような?」
 「うむ、家でも城でも思うように飯が食え
んでな、香の物ひとかけかじって冷や飯を
ぐいぐい食う以上に旨いものなんぞないとい
うのに、皆、大藩の家老がする食事ではない
とかぬかしよってな、なにが家老かよ、元を
正せば独眼竜の飯係じゃ」
 「・・・マサムネ公の・・・」  
 ジュウベイは軽い感動を覚える。かつて戦
国を駆け抜けた最後の一人、妖怪じみた長寿
でジュウベイの父ムネノリとも面識があった
というが、その伝説の轡をとっていた男が目
の前にいるという。
 「まぁ、飯とは言うてもな、竜のことよ。
人の食らうものなど、間もたせにもならん。
竜はな」
 ハラダは言葉を区切ると飯を口に放りこみ
ゆっくりと咀嚼した後、続ける。
 「戦を食ろうて生きるのよ」
 ジュウベイの意識の中でハラダ・カイの物
量が倍にも増した。これが初めて聞くこの男
の言葉なのだ。

 「・・・ハラダさまも戦には? 」
 「なに、わしは人にすぎんよ。戦は恐ろし
い。何よりも戦場に悠然と立つ御館さまが恐
ろしい・・・だがなぁ、お前さんならそうい
うものも幾つとなく見てきただろう・・・・
そういうものは、目が離せんくらいに美しい
んだ」
 恐ろしいことを言う、とジュウベイは思う。
なぜなら、たしかに自分もそのようなものに
目を奪われたことが一度ならずあるから。

 しかし、それが故に恐ろしい。
 血と炎と死が蔓延する戦場そのよりも、そ
こに悠然と立つものの姿が恐ろしい。
 戦ならば逃げればいい。全てを捨て、悲鳴
を上げて逃げればいい。
 だが、そういうものからは逃げられない。
逆に体がそれに吸い寄せられてゆく。
 見たい。もっと見たい。このものを。この
ものの行かんとする先を・・・。
 「自分は・・・修練をつんでおります」
 「神陰流か?」
 「そういうものに踏みとどまる修練を」
 「・・・逃げるでも、惹かれるでもなく立
ち向かうか・・・それは危うい道だ。
 一度でも敗北すれば、その身は修羅に呑まれ
 己も戦場の炎と化す。
 お前さん、常勝無敗の決意を立てたか、常勝
無敗この世に有りと思うか。」
 「・・・体にても、技にても、心にても常勝
無敗はこの世になし。ただ、我が誓いは不変。
そう信じるのみでございます」

 自分が戦を喰らい、戦を吸うて生きるものと
なった時、自分を滅してくれる者たちがいる。
 また、その者たちの敗北の末を滅するのは自
分に他ならない。そう信じることが誓い。
 もっとも、滅することなく、なんとかしてし
まうんじゃないかという、妙な、そして心地良
い疑いを持っている相手もいるが。

 「ハラダ様こそ、踏みとどまるに達人のご様
子、ご教授願いたいものです」
 「・・・わしがか? 達人?」
 「竜の轡を取り、竜の傍らに有って、飲まれ
ず立ち返ってこられた。達人と言わずして何と
しましょう」

 彼の相棒のことを思い出すと、心が随分と
軽くなった。呑まれつつあったハラダの雰囲気
が風のように流れて行く。

 「・・・立ち返って・・・来られたのかなぁ
・・・のう、ジュウベイ殿。先ほど我が藩の恥
を見せてしもうたが・・・どう思われた?」
 「恥・・・ですか」

 おそらくは、先ほどの襲撃者と、それに立ち
向かった供侍のことを言っているのだろう。
 正直、彼らの武士としての力量に褒めるとこ
ろはない。だが、ジュウベイはそれを恥である
とも思わない。何故なら、真剣を手にし、戦お
うという気骨だけはどちらにもあったわけだか
ら。
 立場上、諸藩を旅して来たが、そんな武士は
もはや絶滅危惧種と言っていい。
 さすがは、東北の雄、伊達の侍だと感心した
くらいなのだが、それをハラダに告げるのは、
お互い溜息の元にしかならないように思えたの
で控えておくことにした。

 「この時代の者として、彼らは恥じ入ること
のない武士であると考えますが」
 「・・・この時代なぁ・・・では、時代が変
わった時、あ奴らはどうなる? 真の戦人に立
ち合うて生き延びれるか?」
 「真の戦人はアレを前にしたらやる気を無く
すでしょうよ」
 ジュウベイは事も無げに言った。その議論は
以前、ある男としたことがあり、事実その男は
この時代なりの戦いをする者たちに敗れた。
 戦い用はどのような時代の者でも持っている
それに巧みか、拙いかというだけだ。
 だが、言われたハラダの方は多少面くらった
らしい。しばし無言でジュウベイを見たあと、
声には出さず、しかしかなり派手に腹筋を震わ
せて笑った。
 「・・・・なるほど・・・・あのような様を
見て、なぜ竜の怒りが爆発せんのか不思議で
ならなんだが・・・そういうことか・・・戦人
が立ち合うは戦人のみか・・・」
 さらに、ハラダはさも可笑しそうに声を出し
て笑う。そしてのち、
 「・・・では、真の戦人が目覚めるとするな
らそれは戦の匂いが立ちこめ始めているという
ことになるなぁ」

 今度はジュウベイが息を呑む番であった。

  
  第三章「竜を求める者たち」に続く 

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