蝦夷もののふの戦歌 第一章

 第一章「龍の街」

 仙台は奥州伊達藩五十八万石の城下町であ
る。かつて、最後の戦国大名と呼ばれた隻眼
の龍、マサムネ公がヒデヨシより与えられた
北の商都。江戸初期にマサムネと当時の幕府
の金山奉行ナガヤスによって巨万の富を注ぎ
込まれ、月の浦、松島の港によって紅毛国と
の貿易にも乗り出し江戸、長崎を除けば国内
最大の商業都市となるはずの街であった。

 「なるはずだった、ってことは、ならなか
ったってことだよね」
シュウサクが問う。さほどの興味もないくせ
に他人の説明義務だけは免除しない、いつも
の会話法だ。
「ああ。紅毛との貿易が禁止となったからな」
ジュウベイもさほどに深い解説をする気はな
い。どうせ聞いているだけで、理解しようと
も、覚えようともしてはいないのだから。

 二人は会津から伊達旧領を通って宮城郡を
目指してはいたが、米沢、桑折といった市街
には一切立ち寄らず、街道すら使わず、ひた
すら杣人の通う山中の人知れぬ道を辿ってい
た。
 勿論極秘任務だから、敵とおぼしき者に悟
られぬよう、というのが表向きの理由ではあ
る。だが、あの人相手にその程度の小細工は
通じまいとジュウベイは思う。
 この先、敵とするであろう男は情報戦には
何より力を入れる男だ。おそらく幕府中核に
いる将軍ヨシムネや老中ノブツナよりも正確
にジュウベイの位置を掴んでいるだろう。

 で、良い。とジュウベイは思う。この深山
ならば少々大規模な戦いとなっても人里に害
が及ぶことはあるまい。また、この戦いが人
の口に登り、徒に太平に不安を混ぜ込むこと
にもなるまい。
 だが、ジュウベイはそこまでは気づいてい
なかったが、彼らの敵となる存在にとっては
それこそが戦略の核であった。

 太平に不安を混ぜ込む。

 ゆえに彼らがこの深山で仕掛けてくること
はない。勿論ジュウベイの足どりを鈍らせる
効果はあろうし、それは捨てがたい戦果では
あろうが、だからといって消費できる戦力も
ない。ジュウベイ、シュウサクを相手に戦力
として生還を期待できる部隊は彼らの陣営に
も余力としては抱えられていなかったのであ
る。

 それが判っていて、何故仙台に立ち寄れと
言う? ノブツナの指示の意図はジュウベイ
には理解できない。勿論、伊達は北の雄藩で
あり、藩祖マサムネは謀反癖があったことで
有名な人物ではある。彼らの側に付かれては
困るといった理由も判らぬではない。
 だが、それならば交渉上手は幕府にいくら
でもいるだろう。わざわざ隠密である自分に
密命を下さずとも、参勤交代で江戸にある伊
達公ツナムラと後見人ムネカツにノブツナ本
人、あるいはヨシムネが直々上意を伝えても
良さそうなものだろう。今、仙台を守ってい
るハラダ・カイは家老職にすぎない。

 「そのカイさんに会うのが仕事なの?」
「・・・ああ。とりあえずはな」
会ってどうせよとは言われていない。将軍名
の書状を渡すだけだ。そこに書状の件につい
てのよしなしはジュウベイを全権として交渉
せよ、と書かれていれば話の一つもせずばな
るまい。ヨシムネにせよ、ノブツナにせよ、
ジュウベイの肩を趣味の荷物置き場と考えて
いる節がある。必需品は置かないが、臣下の
立場では決して落とせない貴重品を平気で載
せる。勿論彼らはそれを落とされてもさほど
に困らない。
 多分、この書状にも意味は薄いながら重く
て厄介な貴重品の目録が記されているに違い
ない。

 「で、さぁ。紅毛貿易が禁じられた伊達が
今も東北の雄藩なのはなんで?」
「・・・一通りは納得いくまで喋らせるんだ
な、お前」
 シュウサクにデーターを集める趣味はない。
ただ何事にも欠落を許さないだけだ。興味の
ないことは一つの情報として完結させてから
あっさり忘れる。
 「奥州伊達藩は五十八万石ながら、それは
太閤検地前の数字だ。開墾の余地は十分にあっ
たし、事実現在の石高は百を越えるという見
たてもある。それに東北には未開の金山も多
いというからな。金山開発の名手であった、
オオクボ・ナガヤスの手を借りてどれほどの
隠し金山が見つけられたのやら」
「じゃ、おいしいものもあるねー」
・・・ほら、あっさり忘れた。もうシュウサ
クの頭に伊達の内状など残ってはいない。
「さっさと行こうよ。山道、気持ち悪くなっ
て来た」
「・・・気持ち悪いか・・・そう表現するか」
 ジュウベイは伊達郡、刈田郡を越え、宮城
に近づくにつれ、纏わりつくようになった、
かすかな感覚をどうにも表現出来ずに困惑し
ていた。

 ジュウベイがなんとかそれに当てはめてい
た言葉は「異質」であった。江戸を託して来
た異形の仲間のそれでもあり、魔人と呼ばれ
た男の兵団から感じるそれでもあり、飛騨の
奥地や長崎の出島に漂う気配にも似通ったも
のがある。分析をするならばそれは「異国」
であり、「異界」であり、日常とは違う世界
の匂いとでもいうべきものであろうか。

 だが、彼らのいる場所は異国でも異界でも
ない。そこそこには慣れた自国の深山である。
ただ感覚だけが異質なのだ。
 
 「なんにせよ、離れたほうが良さそうだ」
「うん、でも話くらいは聞いて見ない?」
ジュウベイがシュウサクを振り向くとシュウ
サクは一本の巨木を見上げていた。この男の
直感力は人の域を越えている。
「何かいるのか?」
「誰か、って言った方がいいと思うよ。人か、
それ以上みたいだから」
シュウサクはまだジュウベイには見えないそ
の存在に微笑みかける。同時に軽く涼やかで
すらある笑い声が流れ、それは姿を現した。
シュウサクの見上げる巨木とは正反対の位置
に。

 「・・・方向まで期待しないでよ」
「俺がお前に期待してるのは食い物を残さな
いことだけだよ」
 ジュウベイはゆっくりとそれに振りかえる。
敵意らしきものは感じない。気配そのものは
極弱いものだ。だが、ジュウベイは良く知っ
ている。この世ならざる存在の中には殺意も
気配もなく一瞬にして全てを無に帰す輩がい
ることを。そしてそれらからもやはり異質を
感じることを。

 「魔のものか?」
「まぁ、そう言ってさしつかえはなかろう」
それは涼やかな青年らしき声でそう応えた。
黒い異国の外套をまとった色白の美青年。見
かけはたしかに、このかすかな異質にふさわ
しい姿ではある。だが、ジュウベイの勘は告
げていた。そんなものではない、と。
「魔人というものを見たことがある。そなた
それに劣らぬものと見たが」
「劣ってはおるよ。あのものには焦がれてお
るからな。私はあのものには降参している」
 それはまた涼やかに笑った。
「アマクサの眷属か。異界に隠れたと聞いて
いたが、やはりこの戦いにも手を出すのか」
「さぁ、私はなにも聞いてはいないよ。私は
自分の領域にさざなみを立てたものを見に来
ただけだ」
「領域・・・この辺りには魔界があふれてい
るのか?」
「わずかではあるがな。ただ、さざなみも重
なれば魔界の蓋を押し流すくらいのことはす
るだろうよ。そうなればなったで面白い」
「ここで騒がれては迷惑だが、自ら事態に関
わるつもりも無いということか」
「そうだな。見る以上のことをする気はない。
火の国の戦にお呼びがかかるやもしれんでなぁ」

 火の国という言葉に多少の引っかかりがな
いでもなかった。相棒が向かったのは火の国
九州だと聞く。だが、あちらはあちらでがん
ばってもらうしかないだろう。どうせ只やら
れるヤツでもない。なんとかするだろう。
問題はこちらの件に魔のものがからむという
点だ。ジュウベイにもシュウサクにもそれら
に対抗する術はない。
 
 「魔界の蓋とやらには気をつけろ、という
ことか。とりあえずこちらにはそのような物
と関わる気はないな」
「だが、仙台に行くのであろう? ならば私
も無駄に顔を出したことにはなるまいよ」
 そう言うと、その者の姿はゆらめくように
消えた。

「あれなに?」
「・・・さぁな。いずれ魔界の者ではあろう
よ。アマクサが従える十二使徒とやらの一人
かもしれん。幸いなことにあいつ自身には現
世にかかわる気はさほどに無いようだが」
 まさに幸いであろうと思う。おそらくは勝
ち目のない相手だ。いや、勝つ負けるといっ
たレベルの者ですらないように思う。
「今、言えるのは、仙台に立ち寄るというの
元々たやすい任務ではなかったということだ」
 ジュウベイは歩き出した。であればこそ止
まってはいられない。この任務の全容すら己
には見えていないのだ。少しでも事の姿が見
える場所に急がなければならない。あの魔物
がジュウベイたちの敵に対しても、魔界の蓋
について忠告を入れたかどうか、またそれを
彼らが受け入れるかどうかが判らない以上、
その負担はこちらにかかるつもりでいる必要
がある。
 その準備のためにも仙台入りは急がねばな
らない。
「でも、とりあえずなんか食べようね」
「ま、食える時に食っておかんとな」
「うわー、やだなー。それ、あとで働かせる
ってことでしょ?」
「・・・働かせるとかぬかすとこ見ると、お
前だって奢らせる気なんだろ。覚悟決めろ。
この先は戦だ」
「のへぇー」
 文句を言いながらも、シュウサクの足取り
もジュウベイに送れることは無かった。

         *

 「阿宗太呂徒と申す魔王の話を聞いたこと
がございます」
 仙台の北隅にある覚範寺は米沢よりの歴史
ある伊達家の菩提寺である。住職はマサムネ
公教育係として名高いコサイ禅師の弟子筋で、
ジュウベイの師匠セキシュウサイとも懇意の
ゲツシンという老僧で、ジュウベイはとりあ
えず、この男の元で仙台の事情を探ることに
決めた。
 「なんでも、魔界に広大な領地を持ちなが
らも人界をさまよっている物好きとのことで」
「よくわからんということか・・・まぁあの
類の存在はいつだってよくわからんが」
 ジュウベイの頭に頭巾姿の怪人の姿が浮か
ぶ。
 「では、魔界と思われるものはここにある
のだな?」
「マサムネ公が太閤様より領地変えを賜った
際、旧領米沢は七十二万石、こちらは五十六
万石・・・普通なら納得のいく数ではござい
ますまい。説得役としてマサムネ公を訪れた
のが神君イエヤス公・・・以後何故か、神君
臣下の金山奉行ナガヤスが伊達に近づくこと
となります」
「金山奉行に関係のある話か?」
「金山も魔界の門も人知れぬ地中にございま
すれば」
「ふぅん・・・」

 ナガヤスと、そしてマサムネ本人も切支丹
であったと聞いたことがある。が、あくまで
それは紅毛貿易の方便だと思っていた。
 切支丹を方便とする外界との接触のもう一
つの有り様が魔界信奉者である。
 魔王とよばれた戦国の覇者ノブナガがその
戦力として、鉄砲とともに、この国に呼び込
んだのが魔界である。その絶大な力を恐れた
ミツヒデはノブナガを殺害。ミツヒデを滅ぼ
した太閤ヒデヨシも魔界に対しては追放令を
発し、現幕府を起こしたイエヤスもそれに習
った結果、今や魔界のとの門は公式には長崎
の出島にしか無いはずであった。
 勿論、ひそかにその力を求めて魔界の門を
捜す者もいないではなかったが、それらには
切支丹以上の厳罰が下された。(ヨシムネの
世では切支丹も黙認されている。江戸の人間
は不信神なもので、実のない死後利益など誰
も有り難がらなかったからだ。パライソには
だれも行かない、温泉へ行くといった類の民
衆なのである)
 
 マサムネが魔界の門を確保していたとする
ならそれは幕府に対して強大な切り札となる。
 だが、それを与えたのがイエヤスだとなる
と現幕府が起こって後、マサムネはそれを手
にしていることをどう考えたのか・・・。
 歴史の表面だけを見るなら、マサムネ公は
3代に渡って将軍を支えた幕府の恩人という
ことになっているが。
「神君公は門の守護をマサムネ公に託したと
いうことなのか」
「そう考えれば自然ですなぁ。もっとも反逆
しそうな者にもっとも強大な武力を与え、我
を守れという・・・将軍家らしいやりようで
はないかと」
「・・・上様が我々を動かすときの最も厄介
な褒美は、無条件の信用だからなぁ」
 自分が裏切れば幕府は滅ぶ。そんな任務を
ホイっと放ってよこすのがヨシムネなのだ。
「伊達を押さえねばならない理由がわかりま
したよ。和尚」
「厄介なお仕事ですが・・・期待いたします
よ。今伊達は存亡の危機にありますれば」
「・・・まだ何かあるのか」
 ジュウベイはヨシムネの褒美の厄介さ加減
をあらためて噛み締めた。

 一方、寺・坊主・説教と一瞬で連想できる
場所に立ち入るはずもないシュウサクは門前
でジュウベイと別れ、一足早く城下に入り込
んでいた。当然何かを食べるためだ。
「何か珍しいものがいいなぁ・・・牛の舌
とか無い?」
「んなバチアタリなもん、化物でもなきゃ食
いませんて」
 茶店のオヤジに難癖をつけながらも枝豆を
練り込んだ名物の餅はすでに5皿を重ねてい
る。資金はジュウベイから小遣いをせしめて
いたのでまだ余裕がある。
 そろそろ餅も飽きたんで、何か別のもので
もと思って席を立とうとしたのだが、その時
店に入ってきた連中に気を取られてつい、立
つのを忘れてしまった。
 シュウサクの興味は大別して二つ。旨いと
強いである。そして強いは旨いの上に立つ。

 店に入ってきたのは武芸者と思われる3人
の男だった。一人はシュウサクより頭3つ分
は身長がある巨漢。幅を考えればシュウサク
の4人分の質量はあるだろう。髪も髭もザン
バラで絵に描いたような山賊の風体だが、顔
つきには妙に憎めない愛嬌がある。
 もう一人は眠たげな目をした初老の剣士で
殺気だの剣気だのとは縁の無さそうな雰囲気
ではあるが、腰に帯びた細身の剣は誂えもの
らしく、常人の得物ではない。
 最後の一人は西洋風の軍服を着た青年で、
シュウサクが気を取られたのは実のところこ
の青年だけ、つまり感じ取れる強さにおいて
この青年だけがシュウサクの基準を満たして
いることになる。

「ムネシゲとか言ったか? あの留守居役
どうするんだよ?」
 巨漢が言う
「どうもこうも、こちらも伊達領に入った
ばかりだ。様子もわからんでは決めようもあ
るまい」
 軍服がつまらなさそうに答える。
「まぁ、本来の客は別だからな。予定外の
小遣いにこだわることもないだろう」
「そうでもない」
 初老の男が今、目を覚ましたように言う。
「ここの払いを済ませたらスカンピンだ」
 軍服と巨漢が軽く身を引く。
「なんで? 会津じゃそれなりに稼いだろ」
「どこぞのカッコつけが明け烏の餌を奮発
しすぎたんじゃろ」
 巨漢と初老の視線を受けて軍服が軽く咳き
込む。
「・・・とにかくだ、会ってみんと話にも
ならんだろ、ムネシゲの屋敷に出向いてみる
か・・・ショウセツの使いもまだ現われてお
らんようだしな」
 軍服が残りの餅を口に放り込み、席を立つ。
巨漢と初老の男がやおらそれに続く。
 シュウサクは6皿目のずんだ餅を頬張りな
がらそれを見送った。
「おやじさん」
「ああ、最近はああいうの多いよ。ご領主の
ツナムラ様派と保守派のムネシゲ様派に分か
れていがみ合ってるからねぇ。ご城下に入っ
た浪人は必ずどちら側からか声がかかるよ。
・・・あんたは大丈夫そうだけどなぁ。斬り
合いなんぞとは無縁の顔してるもんなぁ」
「いや、そうじゃなくて・・・食べ歩き地図
かなんか無い?」
「・・・ほんっとに無縁だなぁ」

 茶店のオヤジ手書きの食べ歩き地図「流留
歩」を懐にシュウサクは店を出た。
「・・・ヒジカタ・・・」
 シュウサクは先程の三人組の中に見つけた
旧知の名をつぶやき、歩き出した。当然次の
名物が食える店に向かって。

         *

「ひさかたぶりよなぁ」
 その声はしわがれた老人のものではあった
が聞くものが誰であろうと圧倒されずにはお
けない威容に満ちていた。もっとも、今その
声を聞くものは誰もいなかったが。
「戦の匂いか・・・これほどともなればいず
れ婿どのもやってこようなぁ・・・面白やな」
 仙台の街を見下ろす経ヶ峰の山頂で、それ
は眼ざめようとしていた。
 好物の戦の匂いをかぎつけた龍がいま頭を
もたげはじめたのである。

 
 第二章「予兆の白刃」につづく

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