「死してなお歌うもの」

 何をして最悪というか。例えば自分の頭上
で核兵器が爆発した場合、それは被害範囲の
最外周で死ぬまでに数ヶ月を擁する重症を負
った奴と比較してどうであろうか。
 一切の苦しみなく死ねる前者にくらべて数
ヶ月の苦痛を抱える後者。どちらかを選ばせ
てもらえるなら俺は後者を選ぶ。悪態の一つ
もつけずに消えてなくなるのはまっぴらだか
らな。出来得ることなら爆弾を落っことした
無礼者の喉笛くらいは味わってから、ごちそ
うさんとでも言い残して死にたい。
 だが、死に際のご馳走としちゃ、この病持
ちのニワトリみたいなオヤジの喉笛はどうな
んだろうな。
 
 「そろそろ喋ってもいいぞ。B・J・クロ
コダイル。ガスの効果はそうは持たん」
 「催眠ガスか。てぇことは、お前さんのク
ライアントにとっちゃこの二人は消しちゃい
けない存在ってわけだ。
 俺もわざわざ守ってやる必要はないってこ
とでよさそうだな」
 「・・・さぁな。上の都合などどうでもい
いが、邪魔であることは確かだからな」
 モードレイが機械の隙間からゆっくりとそ
の不吉な姿をあらわす。
 レーテマンとジェナは床に崩れ落ちて寝息
を立てている。人質なんかがいる場合の暴漢
鎮圧用にコロニーポリスが使っている催眠ガ
スだ。下手にあとから裁判沙汰にされるのが
面倒くさいもんで、連中はガスとしちゃかな
り御行儀のいいものを使う。まぁ、大抵は人
質だけがグースカ寝込んでガスマスク準備の
暴漢は無事ってオチが付くんだが、今回もそ
の例にもれちゃいなかった。
 
 もちろん、ワニの肺活量に対人用のガスな
んぞ効くわけもないことはクリーチャー殺し
のモードレイにとっちゃ百も承知だ。
 モードレイは殺せない邪魔者をお片付けし
たにすぎない。
 俺とこいつらに一緒に逃げまわられた日に
ゃいくらモードレイでも巻き添いをくらわさ
ないとはかぎらない。
 元々殺すつもりなら、その状況で不利にな
るのは素人二人を庇いつつ逃げなきゃならな
い俺の方だ。
 殺していいもんなら、練達の鶏おやじが敵
側のお荷物二人をわざわざ眠らせたりはしな
い。
 「成体の人類二人抱えてお前さんから逃げ
られるとも思えんし、やるにせよ逃げるにせ
よこいつらは置いていくしかあるめぇよ。お
前さんへのクライアントからの注文はそんな
とこだろ」
 「・・・巻き込むことについては不可抗力
だと思うがね。私はここで{やる}つもりだ
が」
 「なるほど。じゃ、こいつはどうなんだ」
 俺は空手形のディスクをチラリと見せる。
 「ああ、そういうものを取って来いとも言
われたが・・・はっきり何とは説明されてい
ない。似たようなものを持ちかえってしまっ
たとしても私の落ち度ではあるまいよ」
 「お前さんが実力のわりにゃのし上がれな
い原因はそういう勤務態度にあるんだと思う
ぞ」
 「くくく・・・かもしれんが、今の私には
先だってお前さんにかまされた失態のオトシ
マエをつける以上に魅力的なこともないんで
な」
 モードレイが動いた。暗器使いにしちゃ直
線的すぎる。こういうケンカも出来るっての
か。
 モードレイの指先がその瞬間まで俺の鼻先
が存在した空間をなでる。指先の間に一切の
光を放たない黒い鋭利なものがはさまれてい
ることは見て取れたが、ワニの鱗剥ぎにはい
ささか頼りなかろう。見たまんまのものでな
いことは間違いない。
 
 俺はワニ本来の四足スタンスを取り、後方
へと飛びのくが、それで間合いを開けさせて
くれるモードレイではない。こちらの後退よ
り奴の前進のほうが早い。先程の調子で鼻先
を薙がれては、かわしようもないだろう。
 先方もそれは承知の様子で、こちらに指先
を走らせる。
 「!?」
 その瞬間である。俺の後方で爆発が起こっ
たのは。
 扉一枚はがすのがやっとのセコい爆発では
あるが、伏臥状態の俺と違い、モードレイに
は堪えたろう。
 俺はヤツの状態も確認せず、いま引き剥が
した扉の隙間から外へ出る。
 なんのことはない。先回奴のトラップにひ
っかけられた意趣返しに、先んじて場を征し
た俺が仕掛けをしておいただけだ。
 扉の構造が杜撰だったおかげで俺クラスの
ブキッチョでもプラスチック爆弾の一ひねり
くらい貼りつける隙は余裕で存在したのだ。
 
 ワニ一匹が這い出すのに丁度都合がいい扉
の裂け目から俺が這い出すと、数秒の後には
追跡者の体もそこからひねり出されて来た。
 人類が出入りするには辛いサイズだったは
ずなんだが、バケモノ相手に愚痴っても始ま
るまい。
 
 この際、問題なのはモードレイが昏倒して
いる二人にも、爆破された施設にも気をとら
れることなく、こちらに向かって来ているこ
とだ。
 つまり、モードレイのクライアントはこの
件でワニ一匹を仕留めるにあたって、エスケ
イドの別セクションへの被害には頓着してい
ないことになる。
 これだけの規模の地下構造物を抱えている
となれば、ヤバい仕事をやっているのがジェ
ナのセクションだけじゃないってのは間違い
なかろう。叩いて出る埃は山となるはずだ。
 
 ジェナとレーテマンの生存には気を使いつ
つ、エスケイドへの被害はやむなしとするあ
たり、モードレイのクライアントはエスケイ
ドの人間ではなく、ジェナのセクションの関
係者であり、エスケイド内の有力者より発言
権を持つ者ということになる。
 「ゲナーのクライアントは同時にエスケイ
ドのそれでもあったわけだ」
 「・・・くくく・・・知ってどうなる相手
でもなかったわけだな」
 「まぁ、そのレベルの人間ではあろうさ。
幸い、こっちもスポンサーの要求程度の情報
はもう報告したんでな。これ以上からむつも
りもないんだ」
 俺はエレベーターの扉に貼りつく。勿論、
ここにも先程同様の土産は残してあるのだが
見かけに反して鶏頭ではないモードレイは
迂闊に近づいてはくれない。
 一定の間合いで足を止め、先程の妙な鱗剥
ぎを指で弾き出してくる。
 自慢じゃないがワニは左右の動きに機敏で
はない。着ていたバーバリーの裾を振りまわ
してはじき落とそうとしたが、甘かった。
 鱗剥ぎは予想どうり、見たままのものでは
なかったのだ。
 
 以上に抜けやすい安全ピンに微細な鉤爪が
無数にくっついた、細身の手榴弾とでも言お
うか、つまりこいつは目標にくっついたと同
時に安全ピンが外れ、その瞬間に爆発するっ
て物騒なひっつき虫なわけだ。
 俺はかなりの数の鱗と特注のバーバリーを
瞬時にして失った。
 当然ながらその程度の収支決算で満足して
くれるモードレイではない。障壁役のバーバ
リーを無くした俺にひっつき虫の追加を飛ば
してくる。こうなっては俺のバリアは一つし
かない。
 俺はエレベーターの扉に残した土産の信管
に信号をぶち込んだ。
 
 爆発。
 
 一拍を置いて突っ込んで来ようとしたモー
ドレイが足を止める。
 そして更に幾つかの爆発。
俺のプラスチック爆弾が吹き飛ばしたモード
レイのひっつき虫がいくつか俺とモードレイ
の間で安全ピンを外したのである。
 プラスチック爆弾の爆風は警戒していた奴
さんだったが、さすがに手持ちのひっつき虫
の動向までには気が回らなかったようだ。
 
 おそらくは俺がエレベーターの扉をこじ
あけるために使うだろう爆弾の一瞬をやり過
ごし、扉にもぐり込もうとする俺のケツにタ
イプのちがうひっつき虫をおしつけようとで
もたくらんでいたのだろう。(さっき自らの
手で俺にひっつけようとしてきたところを見
ると、タイプのちがう遅爆性のものもあるん
だろう)
 
 モードレイの舌打ちに送られて俺の体はこ
じ開けたエレベーターの扉の中に滑り込む。
 稼いだ時間は先程とかわりはない。だが、
この中での移動速度は奴さんと俺の間に分け
隔てをしない。先に飛び込んだ俺に奴は追い
つけない。
 なにせ、扉の中にはすでにエレベーターは
存在しない。上下に伸びる四角い穴があるだ
けだ。
 俺は自由落下にまかせて移動をはじめた。
 
 「・・・くくく・・・これだからたまらん
な。お前と殺り合うのは」
 陰気な声が上から降ってくる。モードレイ
は一瞬のためらいもなく自由落下の戦場へ俺
を追って入り込んできた。
 「だが、迂闊だったな。私に上を取られて
は勝ち目はなかろう。何を投げても当てるこ
とができるよ」
 俺もそうだが、奴も速度を緩める工夫は何
もしていない。この穴の底をブチ抜きゃ家に
かなり近い場所に出られるだろうが、それま
で攻撃を待ってくれる奴じゃない。一応プラ
スチック爆弾の用意はしているが使うヒマが
あるかどうか・・・あるわけはないな。
 モードレイが上からひっつき虫を降らせて
来る。こっちが下に向かって爆弾を投げつけ
ても向こうが俺にひっつくほうが速い。もう
俺の手にバリアは・・・あるな。
 
 俺は信管のくっついたプラスチック爆弾を
上にいるモードレイに向かって投げ上げる。
当然、落下中の俺が上に向かってモノを投げ
たってたいした距離は飛ばせない。
 爆弾は俺の上方わずかな場所で閃光を放っ
た。
 
         *
 
 俺の最後の一手がどれほどの収支決算を上
げたのか、俺は知らない。俺の真上で起こっ
た爆風は俺の落下速度を上げ、俺にせまって
落ちて来ていたひっつき虫どものスピードを
もいくらかは落としてくれたろう。それらの
ひっつき虫どもが落ちてくるモードレイとラ
ンデヴーを果たしたかどうかまでは知らない。
 上で使った手のアレンジにすぎなかったん
だからあっさりかわされていても仕方はない。
 
 ただ、残りのプラスチック爆弾を穴の底に
放り投げ、バーバリーの形見であるベルトを
エレベーターのワイヤーに巻きつけ、落下速
度を緩めて穴の底部に穿たれた穴を抜けて懐
かしい下水の中に落っこちるまで、俺は奴さ
んのどんな姿も見なかった。
 
 もっとも爆風で耳をやられていなかったら
あの陰気な笑い声くらいは聞けていたのかも
しれない。ひっつき虫が無数に爆発する音と
モードレイの断末魔なんてのも有り得たのか
もしれないが、どういうわけだかそいつを想
像することは俺には無理だった。
 
 「確認とかはしなかったんですか?」
 「勝利条件は俺の生還だぜ? 生きてるか
もしれないモードレイの鼻先に顔を出してや
る義理がどこにある」
 アホ犬ズーフェイはあいかわらずのアホ面
でウインナーコーヒーのクリームを撒き散ら
していた。まずいな。今日の待ち合わせの相
手はおそらくレーテマンよりはデリケートだ。
 知りたがりのウエイトレスの姉ちゃんが少
し鬱陶しいが、今日の待ち合わせはこの四龍
のオープンンカフェでないといけない。デー
トコースの都合があるからな。
 
 「で、今回の事件って何だったんです?」
 「知りたがってる奴はたくさんいたが、教
えられる奴はいなかった。それだけだ」
 「・・・あんましはっきりとはわかってな
いんですね」
 「まぁな。当面の依頼はレーテマンの幻聴
の正体だけで、それはもう奴に伝えた。
 問題は俺の探偵料くらいのもんだが。ま、
それは彼女次第だな」
 ズーフェイがたどる俺の視線の先にいたの
はジェナ・ハン女史だった。
 「元気そうだな? 仕事はあいかわらずか
い? 」
 「・・・いいえ。今は表の医局に所属して
います」
 ジェナが俺の正面に座る。初対面の時より
やつれてはいたが、顔色は良くなっていた。
 
 あれからすでに2週間が過ぎている。失っ
た鱗の体裁が整うまで、さすがの俺も動けな
かったのだ。
 「左遷かね? それともセクション自体が
閉鎖された? 」
 俺が聞くとジェナはあいまいな微笑みを浮
かべる。まぁ、それ自体はどっちだっていい
ことなんだが。
 
 「先週、葬式があったそうだが、行ったの
かね? 」
 「・・・さぁ? 私の知り合いに不幸ごと
はなかったように思うのですが」
 「えらい高齢のじいさんなんだがな、本人
だか身内だかがこの犬ッコロの上司と懇意で、
エスケイドにも多額の出資をしてたらしい。
 ゲナーとかいうゴロツキともつきあいがあ
ったとかなかったとか」
 「・・・存知ません」
 ジェナは静かなため息をつく。嘘ではある
まい。ただ、なんらか思うところはあったの
だろう。
 俺のほうでもズーフェイに探らせて掴んだ
情報はこの程度のものだ。ジェナの左遷との
因果関係も推測の域は出まい。
 ただ、事態の転がり様がやたらと拙速にな
ったのは、俺が絡んだことが原因ってわけで
もなかったのだろう。
 一番{知りたがっていた奴}に時間的余裕
がなくなったのがおそらくは最大の要因だ。
 
 「さて、場所を移そうか」
 俺はコーヒー代を置いて席を立つ。ジェナ
が黙ってあとに続く。ズーフェイは自分と俺
の分のコーヒー代を置くと、俺の置いたコイ
ンをひったくって、俺の新品のバーバリーの
ポケットにねじり込む。いじらしい行為に見
えるかもしれないが、こいつがさっき飛ばし
たクリームの洗濯代を考えれば赤字もいいと
ころだ。さっさと新品でなくなってほしいバ
ーバリーに免じてゆるしてやるが。
 
 俺たちが移動した先は全ての始まりの場所。
 カンマハド・ホプシス邸であった。
 ズーフェイに鍵を開けさせ、中に入った俺
は中央のテーブルに並べられた4脚の椅子の
一つにすわり、ジェナにもう一つの椅子を勧
めた。
 「始めてくれるかね? 俺には使い方がイ
マイチわからん」
 「・・・あの、本当にこれでデータを渡し
て下さるんですか? 」
 「最初の条件はレーテマンの身柄と交換、
だったな? そいつについてはあんた、とい
うかエスケイドが馬鹿じゃないのを信じてる。
 ここまでの騒ぎになったんじゃ、レーテマ
ンに何もなかったことにしてもらうのが一番
確実で手っ取り早い処置だろうからな」
 「はい、アルフレッド・レーテマン氏は適
切な治療ののち、エスケイドの謝罪を受けと
って退院なさる手筈になっています。・・・
もはや、私の患者ではありませんが」
 
 俺はテーブルの上に手を伸ばし、今も血痕
が残るオルゴールの箱を開けた。
 「これは迷惑料として上乗せさせてもらう
条件だ。どうしても聴きたくなってな。今回
の始まりである、{鳴らずの鐘、歌わずの鳥}
を」
 「研究室でディスクを見たんですね? で
もなぜこれがそうだと? 」
 「再生機材なしにオルゴールディスクだけ
が置いてあれば、ディスクそのものに価値が
あると見るのが妥当だろう? ましてや、そ
ういうものがあるはずでない場所に一つだけ
置かれていれば」
 俺はゴロワーズに火を付ける。ジェナは別
に俺の言い条を否定したいわけじゃない。む
しろ逆に全てが明るみに出ることを期待して
いる。
 「それにあそこはカンマハドのいた場所だ
ったんだろう? ・・・いや、あんたにとっ
ちゃ今もいるのか。奴が自作したオルゴール
盤って形で」
 ジェナがバッグから取り出した包みを解き、
ややいびつな円盤を機械にかける。
 
 ゆっくりとゼンマイが巻かれ、そして歌が
始まる。それはなんということのない音楽。
 老学者が人生の最後にそれた横道で創造し
た、彼の本道における業績とは比ぶるべくも
ないつたない趣味の産物。
 
 「ひどいものでしょう? 聴いたことがあ
るのはカンマハドと私だけ。まだまだ他人様
にお聞かせできるものではありませんね、と
私が言ったから」
 「あんたは他人じゃなかったのかい? 」
 「カンマハドが私を自宅に招いたのは彼が
エスケイドを退社する2月ほど前のことでし
た。仕事の引継ぎが目的だったはずが、なぜ
か彼の趣味に付き合ってオルゴールを聴くこ
とになってしまったんです。私も趣味という
ものを持っていなかったので、私以上に研究
の虫だったカンマハドが全く違う世界を持っ
ているのが不思議で、つい興味を持ってしま
ったんですね」
 
 ジェナはもう一度ゼンマイを巻く。
 「その後、何度となくここへ来て、なにを
するでもなくオルゴールを聴き・・・結局、
一番肝心なデータを引き渡さないまま彼は引
退してしまいました。私もかなりあとになる
までそのことには気づかなかったんですが」
 「なんでだかはわかるのかい?」
 「・・・彼は言ってました。肝心なデータ
ーなどない。膨大な検証の果てに無駄である
ことが証明された一枚のディスク、他人に見
せられるものじゃない・・・と」
 「カンマハドのブレインコピーは成功しな
かったのかい? 」
 「いいえ、レーテマン氏の例を見てもわか
るように、ある人間の神経細胞の状態を他人
に移す技術はある程度完成していたはずです。
 {ねじまきの魚}と呼ばれている擬態擬似
神経細胞の培養とそのコントロール方法。
 もちろん、レーテマン氏におこった齟齬の
ような問題もありますが、研究が進めば解決
はできたはずです。カンマハドの功績の全て
が無駄であったなどということは考えられま
せん」
 「・・・技術じゃなかったのかもな」
 「え?」
 「カンマハドはブレインコピーのコピー元
の実験台として自分を使っていたわけだろ?
 老人が自分を受け継いで生き続ける若い奴
なんかを目の当たりにして何を思うんだろう
な? 」 
 「何をおっしゃっているのか・・・」
 ジェナはゼンマイを巻く手を止めた。
 
 「・・・一つ聞いていいかね? 」
 「はい? 」
 「レーテマンの治療はカンマハドのデータ
なしでも出来たんだろ? ただ、あんたはや
りたくなかった。 治療も、スポンサーの期
待に添う行為も。レーテマンの中にかすかに
残っていたカンマハドが消えるおそれのある
行為は全て」
 「・・・・・・」
 「カンマハドにとっちゃ、あんたと二人だ
けの思い出であるはずの{鳴らずの鐘、歌わ
ずの鳥}を記憶している男がいて、自分の死
後もその男は行き続ける。あんたがカンマハ
ドに抱いていた思いをも受け継いで」
 オルゴールは沈黙した。ゼンマイの巻き手
と同じく。
 
 「カンマハドにとって、レーテマンや、他
の実験台たちは何だったんだろうな」
 「・・・・・・」
 「わずかではあろうが、あんたはカンマハ
ドにいだいていた思いをレーテマンに向けた。
 死んだカンマハドから見れば、生き残った
カンマハドにあんたを奪われたって形になる」
 「・・・・・・」
 「カンマハドの研究が行きつく先は神経細
胞の破損の治療法なんかじゃない。それはあ
んたも承知しているだろう? 
 だからさ、無駄だと思ったんだよ。誰も自
分の全てを奪ってゆく別の自分など作りたく
はないだろうから」
 俺はジェナに変わってもう一度ゼンマイを
巻いた。
 
 へっぽこ作曲家の残したへっぽこな曲をへ
っぽこなオルゴールが歌う。
 「・・・どうしてデータを受け渡してもら
えないのか、どうして私を困らせるのか・・
・・・・あの人にそう言ったんですよ。でも
あの人はあれは無駄なものなんだと言うだけ
で・・・そんな気持ちでいたんですかねぇ」
 「あてずっぽうさ。ただ、データはあんた
になら渡してもいいと思っていたんだろう。
多分、自分の死後ならな」
 「え? ・・・どういうことです? 」
 俺は席を立ち、例の空手形のディスクを取
り出す。
 「悪いな。こいつはニセモンだ」
 「え? それじゃ、本物は」
 「俺はハナっから持っちゃいなかった。持
ってたのは・・・」
 俺は空手形ディスクにゴロワーズを押し付
けて火を消す。
 「あんただよ」
 「!?」
 「カンマハドが殺された現場にあんたがい
たかどうかはまぁ、聞かないよ。だが、エス
ケイドのスタッフか、スポンサーのスタッフ
かは知らないが、他の連中が家捜しをしてる
隙にあんたは{鳴らずの鐘、歌わずの鳥}の
ディスクを真っ先に持ち出した、これはたし
かだ。そのせいで、誰がどう捜そうとも{ね
じまきの魚}のデータはこの家からは見つか
らなかったんだよ」
 「!! まさか」
 ジェナは止まってしまったオルゴールのデ
ィスクを見る。
 そう、カンマハドはこの世に残したくはな
い己の偉大なる功績{ねじまきの魚}を た
った一人の、自分の人生の最後に至ってただ
一人、人間としてつきあった女にしか意味を
持たないへっぽこなオルゴール盤に焼き付け
この世に残したのである。
 
 「そいつが{ねじまきの魚}であるのか、
{鳴らずの鐘、歌わずの鳥}であるのかはあ
んたにまかされたんだよ」
 俺はそれだけ言うと居眠りをしているズー
フェイを蹴っ飛ばし、玄関のドアに手をかけ
た。後ろからはゼンマイを巻く音とそれに続
てへっぽこな曲が聞こえてくる。
 「ああ、そうだ、ミス・ジェナ。もしな、
そいつに{鳴らずの鐘、歌わずの鳥}として
の人生をまっとうさせてやるつもりなら、レ
ーテマンにも聴かせてやってくれ。俺はもう
探偵料の降り込み明細以外であいつの名前を
見ることはないだろうから」
 ジェナ・ハンがかすかに微笑んだ。
 
         *
 
 頭の中で鳴ってる音を探してくれ。頓狂な
仕事はこうして終わりを迎えた。
 耳に付いたんだろうか、へっぽこな曲はし
ばらくの間、俺の頭でも鳴っていた。
 {ねじまきの魚}の有無に関わらず、死ん
だ男は歌い続けている。あるものにとっては
幸いであり、あるものにとっては不幸なこと
に。
 
 
 追記
 
 当然後者である俺がレーテマンから探偵料
の降り込み明細とともに送られて来た小型の
レプリカオルゴールを下水に捨てたのは言う
までもない。一瞬、コーラルグリーンから提
出を求められているレポートを投げ出してや
ろうかと思ったほどだ。
 なにがそんなに腹が立つかって?
 さほどに悪い曲でもないと思い始めている
自分にだよ。   
 
      自分暦25年9月23日
        B・J・クロコダイル記す